魔法 --- update:2011/04/02
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 お調子者がしたことなら、多分こんなに引っかかってなかった。

 鋭い印象の目元を覆うメタルフレームが、悪ふざけを一層遠ざけている。そういう見た目を裏切らない普段の態度、かつ、見た目に似合う秀才ぶり。
 そんなクラスメイトの姿は、日々同じ教室で見ているだけに、通学途中の電車内ですぐに気づいた。大体、少し前までその教室にふたりともいたし。
 挨拶以外にはろくに話したことのない彼は、ドアの近くに立っている。座席が空いていても座らない主義の持ち主らしいことは、時々こうして見かけるので知っていて、ああ今日もか、とかわざわざ思ったりはしなかった。
 同じ沿線に住んでるのかどうかも、実のところ知らない。こうして同じ電車に乗り合わせたからって、気安く雑談することがないどころか、これまでに一度も目が合うことさえなかった。
 その彼が。
 今までは私に気づいているかどうかも怪しかったのに、今はしっかり私を見た。
 空いた車内で隅の席に座っている私とは少し離れているので、このままでは話をするには行儀が悪い。彼もそう思ったのかどうか、私に声はかけてこない。
 私のほうへ歩いてくるでもなく、手招きするとかして私を呼ぶでもない彼は、無言のままドアのガラス窓を指差した。
 次の停車駅まではまだ距離があって、別段目新しいこともない景色は飛ぶように流れていく。
 何で今窓の外を見ろと言いたげに指し示すのかという、私が当然のように抱いた疑問について、彼は言葉で答えを示すつもりはなかったようだった。
 胸ポケットに挿してあったペンを引き抜いて、長い指でつまむと、魔法の杖か指揮棒でも振るみたいにくるっと回して見せる。
 どこか優雅なその仕草が引き起こしたことのように、電車はトンネルに差し掛かったけれど、そのことも、ごく短いトンネルはすぐに抜けてしまうことも、もちろんちゃんと理解していた。
 していたのに。
 彼の手にあるペンが、ガラスをこつんと叩いた。
 またも彼が引き起こしたことのように電車はトンネルを抜けて、車内に陽射しが戻る。
 彼は、窓の外を見るようにという意味でだろう、ペンで何かを指している。
 わずかな間の薄暗がりからすぐに明るさを取り戻しただけなのに、日暮れ近い時間のせいか、思いがけずまぶしくて、私は目をぎゅっと細めながら、彼が私に見せたがっているらしいものに焦点を合わせようと懸命になった。
 
 トンネルを抜けて少し進むと川が流れていて、川沿いには同じ種類の並木が遠くまでずっと続いている。
 朝夕、通学の度に車内から目にする景色は、直に歩いたことはないし、その木が何の木なのかも知らない。知りたいと思ったことさえなく、目にしたことを明確に自覚するなんて、全くなかった。
 朝は車両が満員になる路線なので、立ち位置次第では窓の外なんて見えなくなる。

 彼が朝も近くに乗り合わせていたのかどうかもわからない。でも多分、彼はいたんだろう。窓の外を見る余裕のない私にも気づいてた。

 だから、なのか。
 彼があんな、ちょっとふざけてるみたいな芝居がかった仕草で、並木が花をつけたことを教えてみる気になったのは。
 桜が咲いたと知らないだろう私を、自分が今魔法を使って桜を咲かせたんだと、騙しにかかるみたいにして。

 お調子者がしたことなら、多分こんなに引っかかってなかった。いつものことだとさらっと流して、軽く愛想笑いを浮かべておしまい。
 でも彼は、今私が目にしたことなんか、全くやりそうにない雰囲気のひとだと思っていたから、ものすごく、引っかかる。
 気に障るとか、悪い意味でじゃなくて。
 とにかく、私は軽く混乱していた。
 何で私になのか。何で普段しないような真似してなのか。

 そういうものがあっけなく、彼の浮かべたかすかな笑みに吹っ飛ばされる。

 目元までやわらかい印象になっていて、それが何とも、いい。
 同じクラスの生徒ってだけの存在が、いきなりかなりの昇格を果たすほどに。
 おかしいな、そんなに好みの顔立ちじゃないんだけどな、私そんなに惚れっぽいほうじゃないはずだし、とかいう内心のいいわけは、脈拍の増加とか、体温が上がる感じとかの変化に何の効き目も表さなかった。
 いやいや、何このひと、私をどうしたいの、何なのこれ、と、きれいに咲いた桜を愛でる余裕はさっぱりない。
 彼の意図を計ることなんて、以ての外だった。
「魔法、使った?」
 悪ふざけしたい気分だったなら乗っかってあげればいいんだよねと、あたふたと口にする。
 桜の花を咲かせたのは俺だ、といいたげな彼の小芝居は、彼の本来の目的とは違っているにしても、私を楽しませた。意外な発見というか、笑顔にかなりやられかけているし。
 でも。
 私に歩み寄るなり、
「魔法、かかった?」
 と、咲き始めの桜みたいに頬をほのかに赤らめて私に訊ねた彼に。
 彼の魔法に。
 彼の意図はまださっぱり掴めないまま、私は完全にやられてしまった。

 お調子者がしたことなら、間違いなくこんなのに引っかからなかったはずなのに。

(end)

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(つぶやく)
 一言で言えばギャップ萌え。
 アホっぽいやつが頭冴えてるとこ見せるのとか、秀才タイプが不意に見せるおふざけとか、好きだー。

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