ほんとにそうだったらなあ、と思いながら、視線を窓の外に向けると、通学で乗る路線とは違うから、見慣れない景色が続いている。
ほんとに。もう一度思ってためいきをつく。
わたしが、時々言われるように本当に優等生だったら、こんな面倒は味わってない。
優等生っていうのは、成績がいいとかの秀でた能力は当然持ってて、その上で何事もそつなくこなして失敗しないものだろうから、わたしは当てはまらない。要領がよくないから必死で取り組む姿勢を、真面目だとか評価されても、その真面目さでやっと平均値に届くようじゃ、優等生なんて到底言えないはずだ。
掃除当番サボらないなんて真面目、さすが優等生、なんていうのは、違うのに。
優等生は、久々の調理実習を前に何故か三角巾をなくしてしまっていることに気づいて、慌てて前日に買いに走るとか、しないと思う。
白い布にちゃちゃっとミシン掛けして作っちゃうとかするなら、いかにも優秀っぽいけど、わたしはそういうの得意じゃないというか、できない。
まっすぐ家に帰れず、早く宿題を片付けることができなくなって、無駄な夜更かしに繋がるなんてことは、優等生のイメージからかけ離れている。少なくともわたしはそう思う。
めんどくさいなーって、またためいき。もう少し早く気づいてれば、この前の土曜日に出かけたときついでに買えたのに。要領が悪いというか、非効率。余計な電車賃もかかるし。大体、何で家の中で三角巾が行方不明になるのか。理解に苦しむ。まあ、優等生じゃないから整理整頓だって苦手といえばそれまで。むしろ、優等生じゃないのにギリギリ何とか調達できるタイミングで気づけただけまだまし、って感じだ。
またためいきをつきそうになったとき、隣にどかっと誰かが座って、座席のクッションがぐっと沈み込む。
ちょっと、いらっときた。電車は比較的空いていて、わざわざわたしの隣に座る必要なんてないだろうに、静かに腰を下ろすならまだしも、勢いよく。しかも、元々機嫌が下降中だったところに、これだ。
文句を言ってやろうとまではいかないけど、軽く睨むくらいはしてやろうか、とか一瞬考えて、そんな自分に呆れて、何度目かのためいきをつきかけた。
すると、
「ためいきつくと、幸せが逃げるっていうよ」
隣人はなれなれしく話しかけてきた。軽薄そうな声の調子には、覚えがある。
「やー、偶然。石橋さんって家こっちのほうだっけ? 俺もー。同じクラスでも通学途中にはなかなか会わないもんだよねー」
桜井は、疑問形の抑揚でしゃべっておいてわたしの返事なんか待ちもせず、勝手に納得して話を進めていく。
同じクラスだからって大して親しくはない。いつもにぎやかで騒々しくて、そういうのが好きなら一緒にいて楽しいかもしれないけど、わたしはそうじゃないので、関わり合うと面倒だろうなあと遠目に眺めることはあっても、親しくなりたいとは思わない。
授業中に先生とふざけたやりとりをして進行を妨害するのはしょっちゅうで、全然真面目じゃないのに、要領がいいのか何なのか、先生方に嫌われてはいないらしい。遊んでそうな印象の見た目は世間一般ではかっこいい部類に入るらしく、女の子が放っておかない。どこそこのクラスの誰々さんがこの前告白してたって、とか何とかいう噂話が、親しくないわたしの耳にまで届いたりする。なのに成績はいいとか、何なんだ。
仲良くなりたいっていうよりは、避けたい存在。それが好き勝手に話しかけてきている状態をわたしが歓迎なんかするわけないけど、無視もできない。
わたしが無視できない状況を狙ってやってんのかなこいつ、要領よさそうだしなー、と思って、意識して目つきを少しきつくしてから、買い物に行くんだと簡潔な返事をした。そこから話が発展しない切れ味も心がけた。
でも、桜井はわたしを放っておく気はさらさらないようで、
「何買うの? どこ行くの? 俺もついてっていい? 買い物終わったらハンバーガー食いに行かねえ? 俺腹減っててさー」
などと言いながらポケットから携帯電話を取り出すと、クーポンあったはず、とつぶやいてカチカチやってる。
このままじゃこれからのわたしの行動を勝手に決められかねない。何この図々しさ。
「……買うのは三角巾。行くのはそれを売ってる店。桜井はついてこないで。買い物終わっても何も食べに行かない。わたしおなか減ってない」
うつむいて携帯電話の液晶画面を覗き込んでる桜井に、わたしはやや早口できっぱりと答えた。
桜井がどんな気まぐれかでわたしについてきたがったり一緒にハンバーガーを食べようと言ってみたりしたのか知らないけど、わたしのこの愛想のなさに、気がそがれて、諦めて、さっさと立ち去ってくれるんじゃないか、まあ普通そうなるよな。
というわたしの予想はきれいに裏切られた。
「石橋、携帯出して」
顔を上げて、にこっと笑う。
桜井はそのままわたしの携帯電話が出てくるまでずっと待つつもりらしく、そのまま数秒。
つい、取り出してしまったら、携帯同士を近づけて、はい受信受信、と急かされて、うっかり連絡先を受け取ってしまった。俺にも俺にも、とまた急かす。
何か、テンポ乱されっぱなし。鬱陶しいと感じるべきところのはずだと頭の片隅で確かに思ってるのに、はね除けられない何かがあるような。桜井がどこか憎めなくて、いつの間にか周りにひとが集まってるのは、これか、と実感させられる。
「三角巾、てことは明日の女子の家庭科、調理実習なんだ」
わたしの主張はさらっと無視して、情報は的確に拾っている。次は、何を作るのか訊いてくるもんだと予想して待ち構えてたら、
「あー食いもんの話してたら余計腹減ってきた、てきぱき買い物済ませてハンバーガーな!」
と、またにこっと笑った。
寝言は寝て言え、とか、鋭い言葉で切り返すべきだったのに、黙ってしまう。
桜井がかっこいいかどうかは主観による。けど。
この笑みは手ごわい。
桜井の相手してるといろいろ面倒なことになるかも、と思って、この予想は当たると、根拠もなく確信した。
だからわたしは、さっさと買い物を済ませて、桜井をまいてまっすぐ家に帰った。
親しくなんてなりたくなかったし、これからもなる気ないし。桜井がかっこいいかどうかはともかく、かっこいいひとは嫌いじゃないけど、遊んでるやつは嫌だし。
桜井もこれで懲りてわたしになんか興味なくなるはずだから、これでよかったんだと納得した。
なので、翌朝、
「石橋ー昨日俺のこと置き去りにしただろー」
って、下足室で登校するわたしを待ち構えていた桜井が話しかけてくるとは、全く予想してなかった。
知るか! と思って無視して教室に向かうわたしに、桜井はしっかりついてくる。
「だって、行き先一緒だしー?」
鬱陶しい、どっか行って、と思いはしても睨むことさえしないで完全に無視してたのに、わたしの考えてることを読み取ったみたいに話しながら、桜井は並んで歩く。
教室に着くまでに声をかけられることが一度や二度じゃなかった。わたしにじゃない、桜井に。顔が広い。肯定とも否定ともつかない返事で適当に応じてるくせに、相手に嫌な印象を与えない感じ。
今日調理実習がある相手と見ると、
「調理実習で作ったもの、俺にちょうだいねー俺今日お昼持ってきてないから! 待ってるから!」
なんて、おねだりも忘れない。
くれくれせがまなくても大勢から是非にともらえるだろうに、ちゃっかりしてるというか。
桜井くんのために頑張っちゃう! とかはしゃいじゃう女の子が少なくないあたりも、計算済みなんだろうか。
要領のよさに呆れつつ無視していたら。
「石橋の、一番にもらいに行くから。置いといてよ?」
と、少しひそめた声で言われた。
いやもうほんと、
「寝言は寝て言え」
だ。
でもまた、はね返せない。鋭い言葉でぐっさり刺したと満足感を得ることもない。
桜井は、堪えた様子もなく、微笑むだけだ。
わたしはまた黙ってしまう。
調理実習で作るのは焼き菓子で、食事扱いするには微妙だってことも、黙ってしまったので伝えられない。
調理実習の授業が終われば昼休みなので、さっさと学食でパンでも買って屋上に逃げよう、という計画は、後片付けが昼休みに数分食い込んで、失敗した。
走ってきた桜井が廊下で待ち構えている、っていうのが調理室の中にいてもわかるくらい、話し声やら何やらがにぎやかに広がっている。耳から得る情報によれば、作ったものちょうだい、と桜井のほうからねだらなくても、結構な数をゲットしたようだ。
わたしのなんか、要らんだろ。
「いしばしーまだー? 飯行こうぜー!」
わたしの考えを否定するのを狙ったと思えるくらいのタイミングで、廊下からお呼びがかかる。
一緒に洗い物をしてた子が、桜井くんのご指名だよ、行っておいで、なんて、気を回してくれたりして、着実に逃げ道が狭まってしまった。
「昼飯代浮くわーって思ってたのに、お菓子じゃ腹膨れねえ、石橋に騙された」
また寝言言いやがってと顔をしかめたわたしの意思はおかまいなしに、桜井はすたすた歩き出す。ついてくるのが当然って思ってるんだか思ってないんだか。
到着したのは学食。男子学生の空腹をしっかり満たすボリュームの定食をぺろりと平らげた桜井は、わたしに向かってデザートを要求してきた。
「……いっぱいもらったんでしょ」
「石橋の、一番に食べるって決めてるから。無駄な抵抗はやめてさっさと出して」
言ってることはめちゃくちゃなのに、すごくむかついてもいいはずなのに、文句の一言も言い返せないで黙ってしまう自分に、何をやってるんだか、と呆れてしょうがない。
でも。
にこっと微笑まれて、手を出して待たれて、ちょうだいよ、と甘えた口調でねだられると、抵抗できない。
要領がいいっていうのかよくわからないけど、人生順風満帆そうで羨ましいことで、といらつきながらも、焼き菓子を差し出すと、さっき定食を食べてたときとは打って変わって、じっくり、噛み締めるように食べ始める。
何なんだ、もう。
「すっげえ、うまいなー、全部食うの、もったいない」
また寝言。
「いえ、本心です、心の底から」
わたしの表情から読んだのか、そう言ってまた笑う。俺のために美味しく作ってくれたんだよなーなんてもう、寝言以外の何物でもないと思うけど、それを口に出せない。
いたたまれなくて逃げたい気分ではあるものの、わたしはまだ昼食を食べ終えていないので、逃げられない。
顔の広い桜井は、学食にいる間にも違うクラスの生徒からもしょっちゅう声をかけられる。それぞれに返事をして、話が少し弾んだりもするけど、わたしの傍から離れようとはしなかった。
何なんだろう、これ。
わたしがそんな疑問を抱いているとき、他のひとも疑問が湧いたらしい。
「おまえら仲良かったっけ? 付き合ってんの?」
近くにいたクラスメイトから声をかけられた。
「はあっ?」
変なところから声が出た。
声をかけてきたやつはぽかんとしてて、桜井は可笑しそうにくくっと喉を鳴らしてる。
からかわれてるわけじゃないんだろうけど、桜井は楽しんでるようだった。
ひととおり面白がったら、違うよって種明かしして、離れてくれるんだと思って、わたしは待った。
桜井は、何とも楽しそうな笑みを浮かべて、投げかけられた疑問に答えた。
「寝言が聞ける間柄、目指してるとこ」
なんじゃそらと口を挟めないままのわたし、にこにこしてる桜井、双方を見比べたあと、なるほどね、と言いたげな顔をして、クラスメイトは離れていった。
学食は混雑が落ち着いてきて、少し静かだ。
わたしが立ち上がるときに動いた椅子が立てた音は辺りによく響いた。
乱暴に持ち上げたトレイの上で食器がぶつかって鳴った音も。
逃げ出すわたしの足音も。
桜井の相手してるといろいろ面倒なことになるかも、と思ったのは、大当たりだった。
寝言が聞ける間柄、って、何。
何か、いかにも遊んでるやつが言いそうな、やらしそうな感じがするんだけど、どういうつもりなんだろう。
全力で、寝言は寝て言え、って叫びながらぶん殴るべきなのか。
これだから遊んでるやつは嫌なんだ。
同じクラスだと、帰りのホームルームが終わって解放される時間も同じだ。だから、下足室での待ち伏せは登校時より簡単だ。
昼休み以降、無視を通してきたのに、桜井にあっさり捕まった。
無視して素通りしようと思った。これまでだって別に親しくはなかったし、教室以外で見かけたって声をかけることのほうが稀だったんだから、いつもどおりだ。
目の前を通り過ぎる瞬間。
腕を掴まれた。
「昨日はまかれたし、昼休みは逃げられたから」
悪びれもせず、どこか楽しげに言って、桜井はわたしと手を繋ぐ。
何だ? 何で? と混乱してくるし、桜井が平然としているのは、気に食わない。手馴れた動作に思えるのが頭にくる。
だけど、桜井の手を振り解けない自分に、一番腹が立つ。
「そう毛嫌いしないでよ、傷つくなー」
笑みを消さないまま、桜井はわたしの手を握り直した。
「仲良くしたいんだよ」
だったら、毛嫌いされない、自分を傷つけたりなんてしない、向こうから寄ってくるのと仲良くしてなよ、とは、思ったけど、声に出すより先に桜井が次の言葉を口にする。
「俺と一緒にいてさー、くつろいで、居眠りして、つい寝言がこぼれるような、さ、打ち解けた仲になりたいなーって意味だよ。まあ、俺に寄りかかって居眠りしながらの寝言だと嬉しいけど」
そんなことをさらりと口に出せるってのがもう、言い慣れてて軽々しいとも取れるんだけど。桜井がわたしの手を引いて歩き出した背中に、その指摘をぶつけるのはやめた。
桜井の耳が、ほんのり赤くなっているのに気づいたら、他のことだって言えなくなった。
その上、
「見た目こんなだから、こういうこと言うとそっちに取られがちだけどさ、俺、結構一途よ?」
なんて、まるでわたしのことちょっとは好きって思ってるみたいに言うから。
これが、桜井が今ぐっすり眠ってるからこそ言えてる寝言だったらやだなあ、なんて考えてしまって、調子が狂う。
寝言みたいな、現実味のない内容で、真に受けるなんて馬鹿馬鹿しい話なんだけど。
ほんとに寝言だったらなあ、とは、思えそうになかった。
(end)
何かちゃらい感じの男の子ってことで、ネタまとめ時の仮名が「ちゃらい君」だったので、名前は「○井」にしようと思い、名前を考えるのは昔から苦手なので、阪急箕面線から引っ張ってきた次第です。