そんなの知らない --- daily memo log (03/02/01) 「ですから、今さっき拾ったんですよー」 人の良さそうなおじさんの声だとまず思った。 それから、室内の電灯をつけて、今が午前一時前であることを時計で確認した。 机の上で震える携帯を咄嗟に掴み取って出てみて。 「あの、どちら様でしょうか?」 やっとそれを口にするまで、そこからまだしばらくの時間を要した。 「タクシーの運転手です」 それを聞いてもまだ、頭の中で上手く繋がらない。何が何だか。 私は十時前からさっきまで寝ていた。タクシーには、かれこれ二ヶ月は乗っていない。 「さっき乗ったお兄さんの知り合いじゃないんですか?」 「オニイサン?」 言葉どおりであるはずはない。私には兄はいない。男性って意味だろう。 「携帯の履歴に、一番いっぱいそちらの番号がありましたから」 「拾ったって、携帯電話をですか」 「そうですよ」 話しているうちに段々と目が覚めてきて、考えがやっとまとまるようになってきた。 「さっきまでタクシーに乗ってたお兄さんが落とした携帯の履歴には、今かけてる、私の携帯の番号がいっぱいあったってことですか」 「そう、そうです」 そんなの。 じゃあ、私には関係ないですから。 そう言って電話を切ってしまいそうな衝動に駆られた。 この、親切なおじさんに言ってどうなるものでもないけれど。 履歴ってのは、着信履歴だろう。 私から電話をした記録がいっぱい、残ったままになってただけなんだろう。 それぐらい消しておけよ、と悪態をつきたい。 私と彼は、二週間前に大喧嘩の果てに別れた。 今頃は出来たての彼女とよろしくやっているだろう。最後にそう言われたことだし。 だからもう、そんなの知らない。 携帯をなくして彼が困ろうと、私にはもう関係がない。私から電話することももうないし。 言い出しかねて黙ってしまったけれど、とにかく。 「あの、親しいんでしょう?ここ三日ぐらい、何度もそちらにかけた記録が」 「……は?」 聞き返していた。 「私からかけたんじゃなく、その携帯からかけた記録があったんですか?」 「そうです」 そんなの、知らない。 そこまで考えて思い出した。ここのところ充電し忘れてて、使わないから別にいいし、と放っておいたんだった。 寝る前に充電器に置いて電源を入れたんだった。 「とにかく、持ち主の方に伝えて下さい。うちのタクシー会社の事務所で預かっていますので」 おじさんが言った社名と電話番号をメモして電話を切る。 携帯電話のない、別れた彼に、どうしても私から電話する用事が飛び込んできた。 そんなの知らない。 そう言いたいのに言えない状況。 どうしても電話したくない気持ちの理由を、嫌というほど思い知る。 新しい彼女の影なんか、これっぽっちも感じたくない。それこそ、そんなの知らないと言い張ってしまいたい。 私はまだ、彼が好きだった。 (end) 旧作サルベージ。 家人が失くし物ネタその1。 index |