運命 --- daily memo log (07/01/06)
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 自分が誰かの運命を変えるなんて、普通は思わないもんだ。

「もうっ、何でこんな遠いとこにするかなあ!」
 二年の秋、志望校を第三希望まで書いて提出する用紙を、隣の席のやつに覗き込まれた上にこんなことを言われた。
 俺の用紙に書かれてる校名は、三つとも同じものだ。学科が違うだけで。
 遠いところと言うが、市の一番上のほうから一番下のほう、つまり、北から南に目いっぱい離れているのだが、電車を使って一時間もあれば着ける。こんな遠いとこ、と言われるほどのことはない。
 もっと言えば、席が隣だっていうだけで志望校を覗き見られ、文句をつけられる筋合いもない。
「うるさいな、いいだろ俺がどこ受けたって」
 言葉はきっと乱暴だろうが、口調はそれほどでもなかったはずだ。俺の言葉に怯む様子も無く、隣の席のやつは言い返してくる。
「えーえー、そりゃあもう、自由でございますよ」
 どことなく拗ねたような調子で。
 じゃあ口出しするなと思うけど、それを口に出したら相手はどれほど機嫌を損ねるだろう。
 放っておけば黙るかとも思うけど、それよりもう少し手っ取り早い方法がある。机の脇にかけてあった鞄を取り、用紙と筆記用具を掴んで投げ入れると、鞄を閉めながら立ち上がる。
「ちょ、」
 まだ話は終わってないと言わんばかりの同級生の顔をちらっと見て、無言で歩き出す。
 背中に俺の苗字を呼ぶ声が投げつけられたが、構わず歩く速度を上げていった。
 放課後なんだから、さっさと帰ればいいわけだ。

「……ってことがあってな、鬱陶しいよな」
 中学二年生の弟が、今日学校であったことを心底疎ましそうに語るのを、俺は兄貴として親身に聞いてやった。
 それはノロケかと突っ込んでやりたいのをぐっとこらえて、最後まで聞いてやったんだから、感謝されてもいいくらいだ。
「何で女はああうるさいのかねえ」
 おまえが女の何を知ってる、と思った次の瞬間、俺もな、と思い直してそれは口に出さない。
「おまえさ、それ、ほんとにわかんないの?」
 訊ねると、弟は不思議そうな顔をしただけだった。こりゃほんとにわかんないんだなーと、その反応で理解する。
 そんな風に自分の進路を気にかけるのは、確たる理由があってこそだ。どうでもいいやつの進路なんか、それこそどうでもいい。そこを気づかない弟に、教えてやるべきか自分で気づくまで放っておくべきか。
 ……黙っといてやろう。
 多分、その子はおまえのことが嫌いじゃないんだろうよ、なんて答えは、俺からは絶対に教えてやらない。
 羨ましいから。
「まあ、わかんないならそれでもいいけど」
 思わせぶりに言って、弟を残して自分の部屋に戻る。
 俺が中学の頃、そんなことは少しも起きなかった。高校でもだ。大学に進んで一年半、成人したってそれは変わらない。
 誰かが自分を思ってるなんて状況は、自分の身には起きてない。
 弟の志望校を見て、その女の子は自分の志望校を変えるかもしれない。変えないかもしれない。志望校とは関係の無いところで、例えば弟の態度とかで、女の子の運命は少し方向を変えたかもしれない。そのことで、弟の運命も、もしかしたら既に変わっているかもしれない。
 まあ、どうであれ俺からは何も言わない。
 そのことで俺の運命が変わるなら、変わってしまえばいい。

「……ってことがあってな。最近の中学生は進んでんなーと思ってさ。俺らが中学んときそんな話なんて身近には全くなかったよな」
 世間話のついでにと、深く考えずにその話を持ち出すと、自分の予想より相手の食いつきが良くて、驚いた。
「え、そんなことないでしょ。好きな子と同じ学校、行きたいでしょ。私もそういうこと考えたことあるし、結構そういう子多いんだと思うけど」
「え、そうなんだ?」
「そうそう。だから、あんたの身近にそういう話がなかったんじゃなくて、あんたが周りのこと全然気にしてなかっただけってところじゃないかと思うんだけど」
「えー、そうかあ?」
 話し相手は、同じ中学出身で大学に入ってから再会したやつで、高校の三年間一度も顔を合わせなかった割に、今は結構親しくしている。
 向こうはこっちを「全然変わってないからすぐわかったわ」と言ったけど、こっちは向こうに声をかけられてもしばらくは思い出せなかったくらい、見た目の変化は大きかった。それは俺が男で向こうが女の子だからっていう違いによるものなのかは、よくわからん。
「そんなに気にしてなかったつもりもないんだけどな……ほんとにそんな話身近にあったか? おまえ何か知ってる?」
 さらっと話して終わるつもりが、食いつきがよかったので興味を引かれて、つい訊ねてみた。
「知ってるけど、まあその話はちょっと今更だからなあ」
「ふーん……そういうもんかねえ。俺、中学の頃なんかそんなこと考えもしなかったなあ」
 俺は、中学の頃はそういう話に興味があんまりなかった。というより、自分にそんな話が関わってくるなんて少しも考えたことがなくて、違う世界の話と無意識に割り切っていた。高校に入ってそういうことに興味が出ても、やっぱり縁はなかったんだけど。
「その口ぶりだと、今は考えるみたいに聞こえるよ」
「そりゃなあ、考えるよ、今は」
 からかういい機会を得た、とでも言いたそうな顔つきで言われたのに、思わず素で返してしまったけど、そりゃあ、考える。彼女が欲しいとか普通に考える。考えるだけで出来れば苦労はしないので、相変わらずそういう話には縁がないままだ。
「ふーん……」
 世間話の延長線上にあったのに、何だか方向性がずれてきたような気がする。つい冗談で混ぜ返すのを忘れて本音を口にしてしまったので、言われたほうも途惑っているのかもしれない。様子をうかがってみると、何かを考え込んでいるようにも見えなくなかった。
「何、俺が彼女欲しいとか考えたら意外なのか?」
「意外じゃないけど。人並みにそういう感情は持ってたのかと、ちょっとほっとしたかなー」
「俺の保護者みたいなこと言ってんじゃないの」
 やっと話が軽い方向へと戻ってくれたか、と思ったんだが、どうも違ったらしい。一旦は冗談を言うときの笑みを浮かべた相手が、また考え込むような顔をした。と思ったら、
「あんたの弟ってあんたそっくりだね」
 ふと、こんなことを言った。
「え、何で」
 意味がわからなくて訊ねると、にやっと笑いかけられる。
「全然わかってないところが同じ」
「えー、俺はわかってるだろ。弟はわかってないけど」
 これで完全に雰囲気が軽くなっただろうと踏んで、冗談めかした口調で言い返してはみたけど、実際、本心だった。
 だけど。
「わかってないよ」
 にやりとからかう調子だった彼女の笑みが、ふっと翳る。
 笑っているのに、柔らかい表情なのに、淋しそうに見えて、謎めいて、何を示したいのかが読み取れない。そんな顔をした彼女を見たのは初めてで、俺は何と言えばいいのかさっぱりわからなくなった。
「でも、ほんとにわかってないのかな」
 遂には笑みも消える。
「偶然同じ大学になったと思ってるのかな」
 その問いは、俺がそれまで浮かべていたへらへらした笑いも消し去ってしまった。

 自分が誰かの運命を変えるなんて、今までは、本当に少しも思わなかった。
 ただ、次に俺が口にする何かは、多分、俺と彼女の運命を変えるんだろう。

(end)













旧作サルベージ。
読み返すと恥ずかしい気がしないでもないですが、これは結構気に入っています。
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