□ 着地点/深く潜れ
着地点
『せめて三年』どころか。
あと数ヶ月、数週間、数日も待てない、自分の感情。
「ねえねえ、篤司ぃ」
警戒なんか全くしちゃいない、私服で俺の部屋に居座ってる弓子を見てると、どこが中学二年生なんだか、と思う。
「勉強しようよー」
無邪気な笑顔。俺が学校から帰ってくると、もう居た。
中学は、期末テストというやつをやっている時期なんだそうで、午前中で帰宅する日が一週間続くらしい。
週の頭から俺の部屋に来ている。前の、中間テストの時期もそうだった。その前も、またその前も。弓子が中学に上がってから、もうずっと。
「あのなあ、俺はテストなんかないから、勉強はしねえの」
一緒には、できない。
頭のいい弓子は、俺としゃべってるばっかりでほとんど勉強なんかしなくたって、テストの成績は非常によろしいらしいし。
二つ年下の俺は、今日は別に宿題もないし。
「うう、つまんないよう」
「つまんないって、勉強は別に面白いもんじゃねえだろ」
「じゃあ、もう勉強やめる。ゲームしよう。それなら一緒にできるよね?」
ね?じゃねえよ、その上目遣い、勘弁して。
こんな子供っぽい弓子を見て脈拍が早くなってしまう自分は、多分どこか異常なんだ。
最初、そう思った。
よく考えてみれば、小学生の俺が、小学生に見える女の子を意識してしまうことは、別に変じゃないはずだ。
三年も待たなくたって、充分お似合いだろう、というのが本音。
小学生、に見えないけど。色々不埒なこと考えてみたりもするお年頃だけど。
室内どころか、家中でも二人だけで、まだ日が暮れる前で、弓子はいつも大体夜遅くまで家にいる。二人だけで過ごす時間はやたら長い。
そのことを、弓子はどう思ってるんだろう。
何とも思ってないんだろうなあ。
俺なんか、弟だと思われてるのがせいぜいだろう。弓子は俺に姉ぶって接してきたりはしないけれど、どっちかといえば俺が兄的役割を果たすことが多いけれど、それでも弓子の頭の中では、俺は弟だろう。
弟じゃないです。兄貴でもないです。俺はちゃんと男です。
その台詞を言うには、小学生じゃまだ早い。自覚があるから懸命にブレーキをかける。
本当は、もう十分だって待てない。
言ってやろうか。
あんまし無防備に野郎の部屋にほいほい遊びに来てると、襲われるぞ。
それとも、行動に移してやろうか。
上目遣いでにこっと笑うその顔を、両手で押さえてキスでもして、そのまますぐ側のベッドに押し倒して。
この体格差なら、弓子が俺に抵抗できるわけはない。
加速する感情のまま突っ走って、踏み切って飛んで、辿り着く地面はどこだろう。
そんなもんはなくて、ただどこまでも、底なしに落ちていくだけだろうか。
「篤司、どしたの?」
ゲーム機やソフトの在処も心得てて、勝手に取り出して用意を始めてる。それが当たり前のことのように。
「いっつも負けちゃうけど、今日はちゃんと練習してきたから、負けないよ」
今、好きだって言いながら、抱き締めてしまったら、弓子はどんな反応をするだろう。
「ゲームの練習してて、テスト勉強はしてないのか?」
「してるよー」
「勉強の片手間にした練習じゃ、俺に勝てるわけない」
「じゃあ、勝ったら一つだけ言うこと聞いてもらうからね?」
その上目遣いには、弱い。
「はいはい」
どうせ、クッキー食べたいとか、カフェオレ入れて欲しいとか、そういうことを頼むつもりなんだろう、弓子は。
「はいは一回」
俺だったら、と考えながら、発想がやばくなってくのも、まあ、いつもどおり。
「はいよ」
何にも変わらない。俺が交換条件を突きつけて勝っちまったら、洒落にならんし。
負けてやろう。そう思わなくても、こういう場合に完全に叩きのめすように勝っちまったら弓子は泣くから、どうせ本気なんか出せやしないし。
こういうところはどう考えても、弟の役割じゃあないだろうなあ。
年下らしく、お子様らしく、わがままを言ってみればいいんだろうか。
こんな気持ちであと三年?
絶対無理に決まってる。あと三分だって無理だ。
今、自分の感情を正直に弓子に全力で投げたら、どこに着地するんだろう。
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(first 02/11/25 , update 09/07/01)
深く潜れ
水に潜って息を止めてどこまでもつか。そういう競争に似ている気がした、初めてのキス。
離れて、また合わせるとそれは二度目になるのかどうか、知らない。
繰り返し触れ合わせている間に、それは深くなる。
「そういう知識はどこから仕入れてくるの?」
いつもは本当に無邪気で、幼く見える。その瞳の無邪気さだけは変わらないのに、他は、どこがどう、と説明できないながら、どこもかしこも、妙な艶を感じる。
それが、そそられるという感覚であることは知っている。何度か身をもって味わった。
目の前の相手に抱いた感情が溢れて掻き立てられる純粋な熱が、その何度かのいずれでもそうだったように、抑え切れずこみ上げてくる。
「そっちこそ、『そういう』ってわかってるのは何で?」
意地の悪い質問だと思いながらも、これぐらいなら許されて欲しいとも思う。
「そういうことしたことのある子から聞いたりしたから、だよ」
わずかに乱れた呼吸が、また熱を上げるように作用する。
願い事はひとつだけのはずだった。
ゲームに勝ったら、叶えてもらうから。そう宣言された。泣かせないためにこっそり加減して俺が負けたのが、実は狙い通りだったんだろうか。
あたしを、子供扱いしないで。
いつもなら、カフェオレだのココアだのを作ってきてって言う、その表情で、その声で、そう言った。有無を言わせない力をもって。
その言葉の本当の意味が、実は俺にはわからない。
しがみついてきた小さな身体は、もう子供というには無理がある、と子供の俺は考えた。身体だけなら俺のほうが成長しているけれど。
柔らかで、弾力があって、ずっと触れていたくさせるだけの引力を発揮して、どんどん熱を上げて、思考を奪っていく。
友達がしたという『そういうこと』は、俺の想像の上を行くレベルの出来事なんだろう、多分。
そう思った時点で想像はできているわけだし、このままでいくとブレーキを踏めなくなりそうだとも思う。求めるままに立ち止まれないままに突き進んでしまいそうな。それでもそれは、今はまだ、危機感にしか繋がらない。
息をつく。肺に残った空気を全部吐き出そうとするように押し出す。
息を吸って、どこまでも深く潜ろうと、いけるところまで潜ろうとする。でも息が続かなくなってしまうから、いずれは水面へ上がらなければ。
自分の周りにはちゃんと空気が満ちているのに、どうしてこんなに息苦しいんだろう。
いっそ深く潜れば楽になれるんだろうか。
ここから先へ踏み出したら、と考えたことも確かにあったのに、やっぱりできそうもなかった。
背中を撫でてくる俺のよりも一回り小さな手のひら。
冷めない熱を抱えたまま、穏やかな気持ちになるのも本当で、少し、混乱した。
子供なのは俺のほうだ。
結局、新しくわかったのはそれだけだった。
子供だからと甘えて、腕の中に閉じ込めたまま、手放すのはやめる。
こっちが甘えさせてもらうことで、願い事を叶えたことになるといいけれど。
実際はそうじゃないんじゃないか?
腕の中の存在は、満足してる表情は浮かべてない。物足りなさそうに、上目遣いで見つめてくる。
好きだとか嫌いだとかいう言葉が存在する隙間もない。また潜水して呼吸を停止するみたいなキスをしながら、窓の外、まだ完全に暗くなりきってはいない空を視界の隅に捉えていた。
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(first 03/02/05 , update 09/07/01)