□ 過ぎる夏 後日談1
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クリスマスにケーキを焼いて欲しい。
こじつけた理由はありきたりで情けない。
ただ一緒に過ごしたいだけ。いつものように。
「結構急に言うんやもんなあ」
佐保は、ちょっと困ったふりをしてみせて、「経費はこっち持ちでええから」と俺に言わせた。
だから、さっきから買い物篭にはどんどん品物が放り込まれ続けている。
昨夜急に電話して、ケーキが食べたいから焼いて欲しいと頼み込んだ。確かに、前日に言ったのは急だったかもしれない。けど、俺としては前々からそのつもりで、なかなか切り出せなかったから前日になっただけの話だ。
イブに予定が入ってないのはお互いに知っている。一緒にいる時間が長いから、そういう相手がいないこともよくわかってる。
俺がそういう相手にしたいのは佐保なんだということも、前に伝えた。それは置いといて、『同じ大学に通っている、中学の頃からの同級生』という言葉から連想される以上には、親しくしている。
ショッピングセンターの特設コーナーには相当の種類の品物が並んでいるけれど、正直俺にはどれが何をするものなのかがよくわからない。
後は焼くだけです、というお膳立ても整えておけず、ケーキを焼くまでの前準備のかなり最初の方から佐保の手を借りないと駄目だった。
その分、一緒にいられるから、俺としては好都合。
午前中に駅で待ち合わせて、今こうして買い物をして。少なくともケーキが焼き上がるまでは、一緒にいられる。
「佐藤んちにケーキ型とかあるんか知らへんけど……多分ないよなあ」
だから、食材だけ買えばいいってわけにもいかず。
クリスマスイブになって調理器具一式を買い揃えてるっていうのも、何だか慌しいけれど。
「……市販のケーキ買うほうが安くつくんちゃうかなあ」
品物がレジに通されてどんどん加算されていくのを眺めながら、佐保が今度は本当に困った呟きを漏らした。
この時期、ケーキの値段は高い。それよりも高額の調理器具代と材料費を支払って、両手に買い物袋を抱えて店を出る。
「さすがにこれ持って電車で帰るんは嫌かもなあ」
結構節約家なところがある佐保がそんな風に言うくらい、手荷物は多くなっている。
一応は駅の方向に向かって歩きながら、手前の地下道への階段を降りると、俺よりは荷物が軽い佐保が慌てて着いてきた。
「どこいくんよ」
「地下駐車場」
この前やっと免許を取った。家に車があるのに親父はあんまり乗らないから勿体無いと思ってたので、きっと荷物も増えるだろうと今日は乗ってきた。
「ああ、そういうたらこの前免許取れたて言うとったっけ」
「うん」
この前、免許証が見たいとせがまれて、見せたら、しばらくじっと見つめた後顔をしかめられた。写真写り良過ぎる、と。
「普通、免許証とか学生証の写真なんかは、写りが悪くて、こう、自分の歴史から抹消したくなるようなすごい顔とかしてたりしてなあ……」
佐保が少しコミカルに力説するのをそこまで聞いてから、俺は軽く笑ってこう返す。
「要するに、笑うネタやなくてガッカリしたってことやろ?」
佐保も笑ったので、その考えは正しかったことが裏付けられた。
ずっとそんな調子だ。変わらない。俺と佐保は。
「最近早季子さんとはどうなんだね司くん」
親父は時折冗談めかして俺に訊ねてくる。その度に俺は「ぼちぼちでんなあ」と答えることにしている。
親父が俺に確認したいことは言葉にされなくても嫌という程わかっているし、俺自身望んでもいるけれど、何も変わらないからそれ以外にいい言葉が見つからない。
「なあ、佐藤」
「ん?」
車を運転しているから、呼ばれてもそちらに向けない。顔が見れないのが少し残念。
「免許とって最初に行ったとこってやっぱり」
「やっぱり?」
「ドライブスルー?」
「……なんでやねん」
「えー?行ってへんのん?」
「何で行くねんな」
「うち、車なかったから、憧れてんねん」
無邪気に笑い声を上げてる佐保の顔をちゃんと見れないのは、かなり残念。
ドライブスルーに寄り道することもなく家に帰ると丁度昼過ぎ。
「飯何食う?」
「何でもええけど……材料ある?」
買ってきた調理器具や食材を片付ける作業を一緒にしながら、佐保が冷蔵庫の中を覗く。ケーキに使う卵や生クリームの他には、あまり大したものが入っていない。
「……何でレタス」
「ああ、親父がサラダ食いたいて買うてきたんやけど、結局余らしてしもて」
一玉買ってきて半分余ってるレタスを、佐保が取り出して台所に並べる。後は、卵を二個、一枚だけ残ってたベーコン、玉ねぎ。
「焼き飯にしよう」
佐保は勝手知ったるって感じで台所内をちょこまかと動き回り、炊飯器に残ってるご飯も綺麗にさらって器に移した。
放っておいても十分もすれば焼き飯が二人分食卓に並ぶ。手際もいい。手伝えることが特にあるとは思えない。
「佐藤は、あっちでテレビでも見とき」
手持ち無沙汰で佐保を眺めていたら、そう言われてしまった。でも、台所から出る気は、ない。
「あかんて、佐藤に料理さしたら、ちょっと面倒なことになるし」
確かに俺は料理が得意ではないけれど、何とか自炊もする。佐保の目から見ると、かなり危なっかしいんだろうけど。
佐保が台所でこうして動き回っているのを見ているのは、とても好きだ。
佐保は、時々遊びに来ては、大抵台所に立つことになる。その料理が美味しいこともだけれど、佐保の手料理を食わせてもらえるってことが単純に嬉しい。
でも一応は、喜び過ぎないように気をつけておく。普段食べられない美味しいものが食べられるから喜んでいる、佐保にはそう思わせておきたい。あんまり表に出し過ぎると、距離を取られそうな。
それでも時々、思わず触れてしまう。佐保は、避けたり嫌がったりしない。何にもなかったように、無反応。当たり前のように無反応、だったら、かなり嬉しいんだけども。
「食べて一休みしたら、ケーキ作るから」
佐保が、テーブルの上に焼き飯の皿を二つ置きながら言う。
「見ててええ?」
「あかんて言うても見てるんやろ?」
「うん」
「せやったら、手伝って」
「え?」
「力仕事、結構あるで」
台所で何かをしている時に佐保が俺に手伝ってと言うことが今までなかったので、単純に驚いてしまった。
「その前に、お昼食べんとなあ」
いただきます、と手を合わせて、自分で作った焼き飯をぱくつく。
多分俺じゃないと気づかない。
佐保は、ほんの少しだけど、いつもより嬉しそうに笑った。
「力任せでいいから、思いっきり泡立てて」
銀色のボウルと泡立て器が触れ合ってかしゃかしゃ音を立てる。言われたとおりに力任せに手を動かしているけど、手が疲れてくるだけで一向に泡立たない。
「結構時間かかるんやけど、ちょっと固いくらいでもええから」
佐保はこちらを見ないまま俺に指示を出す。ボウルの中の卵白。これが白くつのが立つ程泡立つもんだとは、ちょっと想像がつかない。
お菓子を作るのは、結構面倒なんやなあ。そう思いながら、俺は佐保の肩越しに佐保の手元を覗き込む。
元々こまかな粉だと思ってるものを、ふるいにかけている。一度ふるい終わったものを、もう一度ふるう。
そういうところで出来映えが変わってくるということなのか、佐保は黙々と粉をふるってる。
特にレシピを見るでもなく、手際良く準備が進む。ケーキの型にバターを塗りつけてる。そのバターも、無塩のやつ、と佐保が選んで買ったものだ。
「ケーキ、焼いたことあるん?」
「あるよ」
佐保は一言で済む返事しかくれなかったので、それ以上訊くのはやめた。多分、おじさんが生きてた頃のことなんだろうと想像して。
何度も焼いたことがあるんだろう、だから何も見なくても作れるんだろう。
「昨日もちょっと焼いた」
佐保の言葉に思考は遮断された。
「え?」
「ちょっと練習してみた」
佐保の部屋にはオーブンはなかった。電子レンジにオーブン機能がついてるのかもしれない。でもケーキ型なんか持ってたのか?
そういうことがざあっと頭を流れていった後、練習という言葉に引っかかった。
「佐藤に食べさせるん、失敗やったらあかんなあと思たから、ちょっとな」
失敗してみせるわけにはいかないので練習した。そうとも取れるし、美味しいのを食べさせたいから練習した、とも取れる。
俺に美味しいケーキを食べてもらいたいという気持ちが佐保にあるのかどうかはさておき、わざわざ練習までしたのか。
「その練習のケーキは?」
「昨日の晩御飯にした」
「ケーキを?」
「スポンジ部分だけやもん」
さらりと言う佐保に対して、俺は。
「それも食いたかった」
思わず言葉が口から出てしまった。
佐保が焼いたケーキならどれもこれも口にしたいなんて、子供みたいな独占欲。
時々やってしまう。こういうのを失言っていうんだってことは身に染みてわかってる。俺は佐保が好きで、佐保は俺を好きではなくて、それでもいつかは好きになってもらえるかもしれない、もしなってもらえなくても、側にはいたい。それなら口に出してはいけないことがある。起こしてはいけない行動も、ある。
佐保はいつも、何もなかったように流してしまう。あからさまに避けるわけじゃなく、それに対して反応しないことで。
近くにいても、俺のものじゃない。それを思い知るには、時々こうして失敗しておけばいいんだけども。
「もっと美味しいの、これから焼くから」
いつもと違って、佐保は穏かに笑ってそう言った。
その笑顔を、綺麗だと思った。
佐保のことを綺麗だと思うことが、最近増えてきた気がした。
焼かれたケーキを切り分けた。
生クリームで器用にデコレーションされて市販品に見えなくもない外見のケーキに、ぷすっとフォークを突き刺す。
ぱくっと頬張る。
「ん、結構美味しいやん」
もくもくと口を動かしながら、佐保が言う。それから、唇に残った生クリームを指で拭う。
それを見てから同じようにケーキを口に運んだ。
「うん、美味い」
「そうやろそうやろ」
褒めると、佐保がわずかに胸を反らせて、わざとらしく威張ってみせる。
そんな風に振舞うのを、ずっと見ていたいと思うのと同時に、これで用が済んでしまったと思ってしまう。
ケーキを焼いて欲しいと頼んだ。ケーキは出来上がったし、こうやって食べてしまえば、もう引き止めるだけの満足いく理由がない。
そういう気持ちを、表には出さないように出さないように。
意識すればするほど、きっと容易く表に出てしまう、そういうものなのかもしれない。
佐保が、いつものように無反応で、さらりと流してしまうのを、期待するような、そうではないような、間。
佐保の目を覗き込む。唇に、まだ少し残るクリーム。
「……晩御飯は、どないすんの?」
「え?」
「え?って、晩御飯。夕食。ディナー」
「それ、発音ちゃう」
誤魔化すように英語を口にする。そのことで少しだけ落ち着く。それよりも、佐保の表情が緩んで笑顔に変わるのを見ているほうが、落ち着く速度を加速する。
「そうそう、その……ディナー?何食べる?」
「何て、材料はないけど」
「ほな、買いに行かなあかんな」
笑顔で言われる。また目を覗き込んで、言葉の意味を探ろうとする。
「ビールでも飲みますかねえ?」
佐保はまだ笑っていて、どんな気持ちなのかは読めない。
「クリスマスイブやし、ねえ」
そう言った佐保の唇に、手をのばして指先で触れる。残るクリームを拭う。
「ケーキも、まだあるし」
一瞬驚いたような表情が過ぎって、またすぐに元の笑顔に戻る。
「後はご馳走とアルコールってとこやろ。おじさんも、夜には帰ってきはるんやろ?」
「いや、今日は飲み会らしいわ。帰ってきても日付変わってからやろな」
「でも、帰ってきて食べはるかな。明日でも」
「……え?」
つい、こぼれた疑問符。
「ほな、買い物しに行こか」
佐保はそれを、今度こそいつもどおりに、何もなかったようにさらりと流した。
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