□ 過ぎる夏 後日談3
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 室内がすっかり暗くなり、灯りなしではあまりよく見えない状態になってるのに、やっと気づいた。
 時計も見えない。電気をつけようと立ち上がった弾みで、椅子を倒してしまった。
 がたん、と割と大きな音がして、慌てる。
 でも、さすがにそろそろ起こしても問題ないだろう。むしろ起こさないとまずい気がする。
 今日一日、ずっと寝ていたことになる。時間が勿体無かったと佐保は言うかもしれない。それなら、起きていたってだけで、俺も充分に勿体無い時間の使い方をしてしまった。
 佐保のこととなると、どうしても。抑えていることにももう慣れたつもりだったのに。一年以上経っているのに。応えて欲しいという気持ちが、どうしても抑えきれなくなってしまう時がある。
「……あれ、何で電気つけてへんのん?」
 急に聞こえた声と、ぱちんとスイッチを入れた音。蛍光灯が瞬いて、室内が一気に明るくなる。
 振り返ると、居間の入口に佐保が立っている。ついさっき目が覚めた、と言われても納得するような、どこか眠そうな顔つき。
「むっちゃ寝てしもたわー……ごめんなあ」
「いや、ええよ。体の調子はどうなん」
「うん、やっと頭痛取れたわ。佐藤は?」
「え?」
「え?て、頭痛」
 そんなこと、言われるまで忘れてた。気づかない内に頭痛は治まっていた。
「ああ、もう平気。何か食うか?」
「うん、お腹空いた」
 時計が五時を回っているから、佐保は帰ると言い出すんじゃないかと思ったけど、そうでなかった。そのことにホッとしてしまって、それはしっかりと態度に出てしまった。
「けど、昨日の晩の残りて、もうないで。全部食うてしもた」  誤魔化すために急いで言葉を繋ぐ。 「ええっ、おじさんの分も?」 「のけてあった?」
「……ううん、のけてへんわ」
「ほな、全部食うたと思う」
「材料、何も残ってへんかったよなあ」
「佐保が全部使うたやん」
「……あ」
 そこで佐保が黙った。
 冷蔵庫の中は殆ど空。ご飯も炊いていない。すぐに用意できるものはない。そのことを思い起こしながら、佐保の言葉の続きを待つ。佐保の表情が少しずつ翳っていくのがわかった。
「家にさ、賞味期限のやばいもん色々あるんやわ」
 佐保があんまり嬉しそうではないことが、せめてもの救いだと思った。この先の言葉は想像がつく。だから帰る。そう言うんだろう。
「せやし」
 聞きたくないと思いながらも、平然と、大して何とも思ってない風に、そうか、とでも言えるよう準備しないと。
 佐保がそれっきり黙ってるので、困った。
 ほんの一分程度の沈黙が、ひたすら長く感じられる。けれど、佐保の顔に笑みが浮かんだのを見て、暖かい気持ちになる。
「うち、けえへん?」
 佐保は、笑みを浮かべたまま言った。
「ああいう顔されるとなあ、弱いなあ、ほんまに」
 その後続けてそう言って、佐保は笑い続けて、くすくすと声を立て始めた。
「ああいう?」
「昨日の晩も、酒飲んでさあ」
「昨日の?」
 昨日の夜、酔って何かしでかしたんじゃないかと気にしていた。佐保はそのことを指して言ってるんだろうか。とんでもないことをしでかしたにしては、佐保は面白そうにしている。不機嫌そうでもないし、怒っているようでも勿論ない。
「酔ってさあ、プレゼントが欲しいて言うて。けど、そんなん買う暇も用意する暇もなかったし、今すぐは無理やわって言うたらさ、すんごいがっくりしてさ。料理作ったやんかーって言うたら、佐藤、泣きそうな顔して」
「……俺が?」
「そう。でな、佐藤、酒全部飲みきらな帰さへんて。あたし、その時点でもう結構酔うてたから、これ以上はきついて言うたんやけど、潰れたら帰さんですむし、潰れてまえ、て。ひどいなあて言い返しても聞く耳持たへんし」
 佐保は、目尻を指で拭ってから、まだ話を続ける。
「帰んな、て言うて、飲んでる間ずっとあたしの腕掴んどったんやで」
 そこまで言ってから、笑顔がふと消えて、真剣な目を俺に向ける。
「酔うたら本心言うかなて、思てたけど。やっぱりそうやった」
 真剣な目つきはすぐに緩んで、穏かな笑みになる。大人びて見える笑みに。
 ある意味、とんでもないことをしていた。隠しきれてもいなかった。しかも。
「……狙っとった?」
「ちょっとな」
 疑問を口に出したら、肯定された。肯定しながら笑顔。
 そのことの意味を考えて、すぐに望む答えに飛びつきたくなって、慌てて踏み止まる。
「ごめん、勝手やな」
 そう言った佐保の表情は、今まで見たこともないような雰囲気を持っていた。心臓が打つ衝撃が全身の隅々に届くくらい大きく感じられた。何か言おうと思っても、言うべき言葉も浮かばない。
「勝手ついでに、うち来てや」
 佐保は笑う。今までで一番俺のことを惹きつける笑顔で。
「冷蔵庫の中身、片付けるから平らげてや」
 な?と同意を求める佐保。考えるまでもなく、勝手に、頷いてた。
 考えるのはやめようと思った。
 クリスマスだから、いいこともあっていいはずだ。ちょっとぐらい。いや、ちょっとじゃないけど。でもクリスマスはもう残り少ないけど。
 そういうのを、頭の隅へ追いやって。
「今日はもう、アルコールはなしにしとこうな」
 やっとそれだけを口にする。
 アルコールなんかなくても、どこか酔いに似ている状態に陥ってしまってるし。
 望み過ぎないようにしないと、と、本当にそう思ってはいたけど、今日だけなら少しぐらい、望み過ぎても許される気がした。

(end)

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