□ 弟の友達 1
1. 弟の友達
「姉貴」
「何」
夕方、台所でカレーを煮込んでいる私に、一つ年下の弟が声をかけてくる。
昔は似ているとよく言われたもんだが、今では体つきも体の大きさも違う。弟の方がでかいし老け顔。私の方が妹みたいだ。
「今日さ、友達連れてきていいか?」
両親は長期旅行中。大学生の娘と受験生の息子を置いて家を空けることに、抵抗なんか感じない人たち。
「何人?」
大勢連れ込んで、溜まり場みたいになったら嫌だ。
「一人。宿題やるだけだってば」
「でも泊めるしご飯も酒も要るんでしょ」
言ってやったら苦笑い。ちょっとくらい否定しろっての。
「もう少し早く言ってくれれば、豚じゃなくて牛にしたのに」
もっと量も作ったのに。鍋の中で煮ている肉を見ながら、暗に了解する。弟は嬉しそうに携帯電話をかけ始めた。
しばらくして、ジュースやお菓子や酒をいっぱい詰めたビニール袋を持った来客が玄関に現れた。
弟よりでかい男の子。
「お兄さんから聞いてるよね、今日泊めてもらう約束してんだ俺」
そう言って浮かべた愛想笑いがちょっと気に入ったりして、我ながら馬鹿だと思った。
「おー、来たか、伊藤」
弟が二階から裸足で階段を駆け降りてきた。
「あんたの客でしょ、自分で迎えなさいよね」
「わりいね」
「野菜焦げたらあんたのせいよ」
「何か炒めてんの?」
「あたしの晩御飯」
「カレー食わないの?」
「あんたが急に言うから、量が足りないの」
自分の馬鹿さ加減と、妹って言われたことに腹が立つから、私の口調は荒かった。
「鈴木ん家って、妹の方が権力強いんだなあ」
その続きは聞かず、台所に引っ込む。
「えー!あれで女子大生?詐欺だろ!」
聞こえてきた絶叫に、ますます自分の馬鹿さ加減を思い知った。
全然駄目。あんなの。いいのは笑顔だけじゃないの。
腹立ち紛れに炒めた野菜で作った炒飯は、なかなかの出来だった。
「いただきます」
弟とその客が、礼儀正しく言ってカレーを食べ始める。
私は台所で立ったまま炒飯を食べている。
「姉貴もこっちで食えば?」
弟が何を言っても無視。
カレーを出した時の、伊藤くんとやらのあの視線。
じろじろと眺めて、どうせ、これで姉?嘘だろ?とか思ってそうな表情。
愛想笑いのほうが何倍も魅力的だ。
食べた後、食器を洗ってると、横に人の気配がした。流してる水の音で気づけなくてびっくりしてしまう。
見上げなくても誰だかわかった。靴下を履いた足元。
「ごちそうさまでした」
言いながら、下げてきた二人分の食器をどこに置けばいいのか迷ってるみたいだった。
「ここ、置いて」
流しの空いている場所を泡だらけの指で示したら、食器を置いてすぐ離れていく。
「あの」
最初その声は水音に紛れて聞こえなかった。
水道を止めて、やっと何か言われていることに気づいた。
目線を声の方向にやる。愛想笑いを浮かべてる伊藤くんとやら。
「すいません、妹だなんて間違えたりして」
愛想笑いはもういい。
「別にいいわ。そこ、邪魔だから早く弟の部屋に引き上げてね」
もう魅力的だとも思えなくなってる。
「ご機嫌なんか取らなくても、後でちゃんとお茶淹れて持っていくわよ。酒もね」
冷蔵庫の前で突っ立ったままの伊藤くんとやらに言う。きつい口調だとは思ったけど、どう思われても別に構わない。
一転して、改まった表情になった伊藤くんとやらは「ごめん」と言ったけど。
「別にいいって言ってるでしょう」
苛立ちがそのまま声に出ている。どうしようもなくむかむかする。
それなのに。
「ゆりこさん、カレー美味しかった、ありがとう」
真面目な声が告げて、それから笑顔になった。
愛想笑いなんかじゃない、自然な。
理由のわからなかった苛立ちやむかつきが、呆気なく消えた。
ちょっとカレーを誉められただけで、こんなに嬉しくなる必要はないと思うな、と自分に言い聞かせながら、それがとても的外れなものだと、もう気づいてる。
歩き去る背中を見た。名前を呼んだ声を頭の中で何度も再生する。
きゅっと締め付けられるような、甘い胸の苦しさ。
弟の友達の伊藤くんとやら。下の名前も、他のことも、何にも知らないのに。
後でお茶も出さなきゃいけないのに。
泊まって行くらしいから明日も顔合わせるのに。
何だか、とても厄介なことになる気がした。
その時の予感は、結局外れなかった。
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