□ 弟の友達 3
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3. 真夜中の電話

「葉一、遅いね」
 同じ疑問を真樹くんも持っていた。
 葉一が部屋を出てからもう十分は経っている。コップを持ってくるだけでこんなに時間がかかるわけがない。
「ちょっと見てくる」
 私は立ち上がろうとするけど、その動作を真樹くんに阻まれた。手を掴んで軽く力を加えただけで、私は全く動けなくなった。
「ちょっと待って」
 真樹くんは、声をひそめた。
 不思議に思ってると、私の手を掴んでる真樹くんの手が軽く引かれた。軽く、なのに、それだけで私はぺたんと床に座ってしまう。
「何か、音聞こえない?」
 真樹くんの意識が他にあってよかった、とちょっとだけ安堵して、何か聞こえないか耳をすませてみる。
 ……無駄だった。自分の心臓の音ばっかり、うるさく聞こえるだけ。
「携帯電話の着メロかな」
 言われてみると、何だかそんな音が聞こえてくる気がする。でも、やっぱり心臓の音が邪魔で、よくわからない。
「葉一の着メロって、何だっけ」
「展覧会の絵」
 ムゾルグスキーの。何でそんな渋いのにしてんの、って最近も言った覚えがあるから、確かそう。
「メールと音変えてんだっけ?あれ、BoAだよね……止まった」
 そこまでこまかいことは知らないけど、よく聞いてみれば、確かにぴこぴこと音が鳴ってたみたい。真樹くんの言葉どおり、今は止まってしまった。
「着メロかー、俺面倒でそういうの設定してないなあ」
 そう言って真樹くんは折り畳み式の、多分最新型だろうなあって感じの携帯を取り出した。ぱちん、と音を立てて、何やら操作している。
「写真撮るのとメールにはよく使うけど」
 急に携帯をこっちに向ける。シャッター音に似せて作られた音が鳴る。
「え、写真撮っちゃったの?!」
「撮ったよ」
 いたずらっぽく、真樹くんが笑う。そして携帯の液晶モニターをこっちに向けるように携帯を持ち直す。
「え、やだ」
 写真写り、すごく悪いのに。覗き込んだモニターの中に、画質の粗い私の映像がある。
「まあ、そんなにはっきりとは写らないんだけどね」
 確かに。私だとわかる程度ではあるけど、どアップってわけじゃないし、表情も曖昧。にっこり笑ってるところを撮ってもらったわけじゃないし、しょうがないのかもしれないけど。
「写真、消さないの?」
 思わず訊いた。
「うん。後で百合子さんの携帯に送ったげる。どこのメーカーの機種なの?」
「それと同じとこのだけど、私のは、画像は見れないの」
 最新じゃないし。それどころか、もう二年以上使ってる。折り畳み式でもない。
「じゃあ、パソコンは持ってる?」
「部屋にあるけど」
「それでメールとかするよね?そっちに送るよ。アドレス教えて」
 さらっと言えてしまうのは、真樹くんがそういうことに慣れてるせいなのかな。私ももっと落ちついてなきゃ変かな。
 ついでみたいにさりげなく携帯の番号とアドレスも聞かれて、それらを登録し終わると、真樹くんは笑顔のまま携帯電話を折り畳んでポケットに仕舞った。
 何で私のアドレスとか訊いたんだろう。何か意味があるんだろうか。それとも、ただ何となく?
 その時かすかに聞こえたのは、玄関のドアの閉まる音だった。
「……何?」
 真樹くんは気づかなかったのか、ドアの音に反応した私に訊いてくる。
「ちょっと下見てくる」
「俺も行くよ」
 私の後ろに真樹くんが続く。階段を降りると正面に玄関が見える。ドアは当然だけど閉まっている。
 でも、ドアに近づいてドアノブをひねると、鍵がかかってないことがわかった。それと、葉一のスニーカーがないことに気づいた。
「葉一は?」
 真樹くんの問いには、私も曖昧にしか回答できない。
「外、出てったみたい」
 ドアの鍵をかけて、台所へ移動する。台所のテーブルの上に、ガラスのコップが三つ出して置いてある。葉一が出したんだろう。それをトレイに乗せる。
「百合子さん」
 廊下から声がする。
「何か鳴ってる」
 確かに、かすかに聞こえる。私の携帯だ。二階の私の部屋で鳴ってる。
「出ないの?」
 ひょこっと顔を覗かせて真樹くんが言うけど、七コールで留守番電話に繋がる。今から走っても間に合わない。
「いいよ別に」
 そう言っている間に私の携帯は鳴り止んだようだった。
 今度は、すぐ側で着信音が鳴った。ぴぴぴ、という、メロディになっていない音が、繰り返し鳴り続けるだけのもの。
「……葉一の携帯だ」
 ポケットから携帯を取り出して、真樹くんが呟く。ちらっと覗き込んだ液晶画面に、鈴木葉一って表示。
「もしもし」
 真樹くんが電話に出てしまうと、私にはすることがない。真樹くんが携帯電話に向かって話すのをじっと見るくらいしか。
「おい、そんなの、困るよ」
 真樹くんの声が、はっきりわかるくらいうろたえてる。
「大体おまえの課題だろうが、俺にどうしろって」
 それっきり、真樹くんが黙った。しばらく電話を耳に当てたまま。
「……おい、葉一」
 より一層うろたえてる感じが強くなった声で、真樹くんが葉一の名前を呼ぶ。そして溜め息。
「切られた」
 携帯電話を折り畳みながら、ちらりとこっちを見た。真樹くんのことはほとんど知らなくてもわかる。これは間違いようもなく困ってる顔だ。
「とりあえず、上行こうか」
 コップを乗せたトレイを持って私が歩き出すと、真樹くんはついてくる。背後からまた小さく溜め息が聞こえて、狭い階段で振り返ってしまいそうになるのを我慢するのが難しい。
 葉一の部屋の前で、両手で持っていたトレイを片手に持ち直してると、後ろから長い手がドアを開けてくれる。
「ありがとう」
 振り返らないままでお礼を言って、室内へ入る。トレイをテーブルの上に置いてからやっと振り返ると、ドアの側で真樹くんは立ち止まってた。
「どうしたの?」
「え、ああ、何でもない」
 ぎこちない応対。真樹くんはドアを閉めない。
「あ、ちょっと失礼するね」
 開いたままのドアからもう一度廊下に出て、奥の部屋へ向かう。その間も真樹くんはドアの前で立ったまま、室内には入ろうとしない。
「入って、ジュースでも飲んでて」
 そう声をかけてやっと、真樹くんは部屋に入った。困った顔のままで。
 葉一は真樹くんに何を言ったんだろう。真樹くんは、何を言われてあんなに困ってるんだろう。教えてもらえばいいんだけど、あんなに困った顔されると、ちょっと訊きづらい。
 一番奥が私の部屋。勉強机の上に、私の携帯が置いてある。
 着信アリ、と表示されてる、モノクロのディスプレイ。履歴を確認してみると、葉一って表示された。
 葉一は、真樹くんに電話する前に、私に電話してきたらしい。真樹くんが「何か鳴ってる」と言っていたのはこれのことだ。
 私に何か用事があったんだろうか。留守録には登録されていないから、私にかけた後すぐ真樹くんに電話したんだと推測できる。
 もう夜中だし、これっきりかかってくることもないとは思うけど、一応持っておこう。携帯しない携帯電話なんておかしい、と思うと少し笑えた。
 夜中に、自分の家とはいえ、弟ではない男の子と二人っきりだという状況は、まだ私を冷静でなくさせてはいなかった。

 葉一の部屋に戻ると、真樹くんは困った顔のまま床に座り、ジュースを飲んでいた。葉一がいた時もさっきまでも、崩した楽な座り方だったのに、今は何だかちょっとだけなんだけどかしこまってるように見えた。
「……どうしたの?」
「え、何が?」
 答える様子も何だか違う。落ち着きがない感じ。
「さっきの電話、葉一何て言ってた?」
 訊ねたら、真樹くんの肩が目に見えてびくっとなった。
「あの……」
 言いにくそう。葉一は真樹くんに何を言ったんだろう。
 答えをじーっと待っていたら、真樹くんは少し肩を落として、少し間を開けて、それからやっと口を開いた。
「あのね、葉一、明日の夜まで戻らないって」
「……は?」
 間の抜けた声をあげてしまった。状況が掴めないまま、頭には一言だけ浮かんだ。「葉一の馬鹿、何やってんの」って。
「それでね、葉一の課題、百合子さんに手伝ってもらってやっといて、って言われたんだけど……」
 そこで真樹くんは口ごもる。
「……俺、ここにいるの、まずいよね?」
 何がまずいのか、真樹くんが何をまずいと思っているのか、すぐに気づいた。真樹くんは、招いた本人がいない家にいる状況。居心地がいいかと訊かれれば、そりゃあ答えはノーだと思う。
 それに、家には他に誰もいない。真樹くんがそれを気にしていないということは、ないんじゃないかと思う。そうじゃなきゃ、ここまで目に見えて困ってたりはしないって気がした。
「まずい、かな?……どうなんだろ」
 まずいよね、じゃあ今日はもう帰って。葉一の馬鹿には後で私からもよーく言って聞かせておくからね。ごめんね。
 そう言っちゃえばよかったのに、何故か私は曖昧なことを言ってしまってた。


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