□ 弟の友達 7
7. 私の恋人
「友達って、別に誰かがいて、その人と約束があって、って言うんなら、俺、もう帰るよ。葉一も戻って来ないし、お邪魔だから」
余裕のない声だ、と思った。
ずっと、笑みを浮かべたまま、落ち着いた調子で話し続けてた真樹くんじゃなかった。真面目な顔。カレーを美味しかったと告げた時みたいな、真面目な声。でも、あの時とは違って、言った後笑顔にはならない。
「友達って、誰のこと?」
責められているように聞こえるのはどうしてだろう。
「それとも、その友達って人、ホントは彼氏だったりとか?」
どうして。
「どうして、そんなこと訊くの?」
声が震える。情けなくて、泣き出すわけでもないのに、泣き出しそうに聞こえるかもしれない。
どうしてそんなに、真剣に、そのことを追求してくるんだろう。
「訊きたいから」
それ、理由になってないよ。普段なら簡単に言えることが、今は言えない。
「百合子さんの今日の予定はどうなってて、百合子さん自体はどうしたいと思ってるの?」
真樹くんは、訊ねても答えてくれない。質問に質問で返される。話が進まない。
「……予定は、何にもないから、真樹くんとお昼食べに行くつもり」
「じゃあ、友達って、俺のこと?」
「それは、言い訳するのに使っただけだから、誰のことでもないけど」
「俺は、百合子さんの友達?」
「……違う」
「そうだね、違うね。弟の友達だよね」
何でこんな話になってるんだろう。怖いくらいに真剣に問いただされなきゃいけないことなんだろうか、これ。
責められてる気がしてしまう。そしたら、すごく情けなくて頼りない気持ちになってしまう。
「昨日の夜、帰ったほうがいいかなって訊いたとき、百合子さん帰れって言わなかったから、ちょっと勘違いしてしまった」
「私のせい?」
「……俺が勝手に勘違いしてただけだね」
ふっと、真樹くんが穏かな表情に変わった。かすかな笑み。
「ごめん、やっぱり、帰る」
「どうして?」
「どうしてって」
黙られると、やっぱり話は進まない。
「わかんないかな」
「何を?」
「昨日の夜、別に帰ってもよかったんだけど、帰らなかったり。お昼に誘ったり。今こうやってごねてるのも……何でか、百合子さんはわかんない?」
「じゃあ、私が帰ってって言わなかった理由、真樹くんはわかってるの?」
何で言い合いになってるんだろう。穏かな調子で話しているけど、こんなの、口喧嘩みたい。
黙って、お互いに相手をまっすぐに見て。睨み合ってないだけで、こんなの、喧嘩してるみたい。
じっと目を見たまま、お互い反らさない。
そうやって見ている内に、頭の中では別のことを考えてしまってる。二重まぶた。長い睫毛。少し明るい茶色の瞳。年下だって知ってるのに、大人びて見える。カッコイイ部類に入るんだろう。きっともてるんだろう。女の子をあしらうのなんか、慣れてるんだろう。
「……何やってんだろ、俺ら」
真樹くんが目に見えてわかりやすい苦笑いを浮かべた。
「あー、カッコ悪い」
くっくっ、と声を出して笑う。
私は、それを呆気に取られて眺めている。
「ちゃんと言わなきゃ、何にも始まらないのに」
苦笑いはやがて普通の笑顔になって、真樹くんはいつもどおりに戻った。
「結構、わざとらしいかなって、もうとっくにバレバレかなって、思ってたんだけど」
真樹くんが私に近づいてくる。
すぐ前に立つと、身長差がかなりあって、見上げないといけなくなる。そこまでは近づかないで、真樹くんが少し体を折って、私を覗き込む。
「葉一にも言われたぐらいだから、もう気づいてんのかなっと、思ってたんだけど」
何でそこで葉一の名前がでるんだろう。
「まだわかんない?」
わかんないからさっきから訊いてるのになあ。
「百合子さんのこと、一目惚れみたい」
「は?」
鳩が豆鉄砲。寝耳に水。今私、とんでもなく間抜けな顔してるわ。今のも、とんでもなく間抜けな声だったし。
「……人が真面目に一大告白してんのに……」
真樹くんが、拗ねたような表情をしてから、また少し笑った。
「そういうさあ、かわいい顔されると、とても年上には思えないなあ」
「で、でも、年上だもの」
「一こだけね。……そんなにわかりやすく反応されると、余計年下に思えてくる」
「でも、年上だし」
「うん。そのギャップがまた」
「はい?」
「いやいや、こっちの話」
からかわれてるんだ、と思った。私の態度があんまりにもわかりやすかったから、反応見て遊んでるんだ。
どうせ葉一が、大学生にもなって彼氏の一人も家に連れて来やしねえんだよウチの姉は。とか何とか、くっだらないことべらべら喋って、だから、こんな風にからかわれたりするんだ。
だって、笑ってるし。
真樹くん、やたら笑ってて、涙滲ませてるし。
「その表情は、疑ってる?」
まだ笑ったまま、真樹くんが囁く。
当たり前でしょう、と返事をしようとして、それは果せないまま飲み込まされた。
ああ、やっぱり。
女の子の扱いとか、手馴れてるんだ。
こうやって肩に触れたり、頬に触れたり。
唇に触れたり。
唇を触れ合わせたまま笑ってみたり。
だって、どうみても葉一より見た目整ってるし。女の子なんかよりどりみどりで、経験豊富で遊び慣れてるんだ。
「まだ疑ってる?」
「……な……」
「な?」
「慣れてるね、真樹くん」
「はあっ?」
多分、今まで見た中で、一番情けない真樹くんだ、これ。
それから、やっとちゃんと年下に思える真樹くんだ。
「慣れてるも何も、初めてなんですけど……」
「またまた、そんな嘘つかなくてもいいってば」
「嘘じゃないって」
「初めてだっていうなら、普通はもっとぎこちないもんだと思うけどなあ」
ちゃんと年下に見える真樹くんは可愛らしくて、からかいたくなった。真樹くんが私をからかいたくなる感情はこんな感じなんだろうか、とぼんやり思いながら。
「そういう百合子さんは、経験豊富なわけ?」
「年相応に、それなりにはね」
まあ、初めてではないし、これは嘘じゃない。
「うわ、葉一の話と違うし」
やっぱり、葉一の馬鹿、くっだらないことべらべら喋ってんだな。
「どう違うの?」
「彼氏いない歴十九年の淋しい姉だって……わっ、何すんだよ」
咄嗟に頬をつねってた。
「俺が言ったんじゃないって」
「うん、わかってる。葉一の言いそうなことだし。葉一の話と違うと、どう問題があるの?」
「や、問題は、ないけど」
さっきまでと、立場が逆転したみたいで、ちょっと気分がいい。
だから、変な緊張感は、今は消えてる。昨夜、課題をやりながら、やり終わった後も、長々と、眠り込むまで話をしたみたいに、打ち解けた感覚。
「もしかして、やっぱり彼氏いるとか?」
頬をつままれたままで、少しふにゃっとした話し方になってしまってる真樹くんが、また少し情けない顔をした。
「いないけど」
「じゃあ」
「じゃあ、何?」
「何って……俺、告白したのに」
「聞きました」
「返事は?」
話してる内に私も笑えてきた。真樹くんも、落ち着いた笑みを浮かべてる。……頬は私につままれたままだけど。
「そんなすぐ告白なんかしていいの?まだ会って二十四時間も経ってないよ?」
「いいんだよ」
「そう?」
「若いから、勢いで……いてっ」
「私が若くないみたいじゃない、それ」
「……百合子さん、子供みたい」
「違うわよ、若いのよ」
頬をつまんだままで、つままれたままで、何をやってるんだろう、私達は。
多分、今同じこと考えたんだ。顔を見合わせて、笑う。
「あんまりいじめると、俺、葉一が帰ってくるまで居座ったりするかもしれないけど、いいの?」
それには、頬から手を離して、少し離れて、背中を向けて、返事をしない。
厄介なことどころか、とんでもないことになって、とんでもないことをしでかしそうだ。
「百合子さん」
後ろから私を抱きすくめる大きな体。一つ年下の弟の友達。
「返事まだ聞いてない」
顔は見えないから表情はわからないけど、声は真剣。
弟の友達は、私の恋人になるかもしれない。
今私が、正直に返事を伝えたら。
とりあえず明日、葉一が帰ってきたら、親には黙っててあげるって恩を売っておこう。
それから、根掘り葉掘り聞いてやろう。
真樹くんに何を吹き込んだのか、どこへ泊まったのか、彼女との仲とか。
こっちの事情は伏せといて。
「返事聞くまで離さないけど?」
本当は余裕なんか全然ないし、からかってるふりして脈拍なんかもうめちゃくちゃだし、そんなの、こうやって体をくっつけてるからもうばれてる。
それでも。
「じゃあ、黙っとく」
口調だけは、余裕たっぷりを装ってみた。
真樹くんが笑ったので、私も笑った。
(end)
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