□ 弟の友達 5
5. 朝食のおかず
夜遅くまで、というより明け方近くまで、私達は起きていた。
ズルをして手間を省いたお陰で課題は結構すんなり終わって、それなのに話を止められないままだったのだ。
他愛ないことを、ただ話していただけ。
学校での葉一の様子だとか、葉一の彼女の一葉さんの話だとか、私の大学の事だとか、受験の事だとか。
話が途切れることがなくて、本当に色々と話をした。
少し眠そうな真樹くんが、のんびりと相槌を打つのを心地よく聞きながら、私は話を続けた。とろんとした目が、やがて閉じて、開かなくなってしまうまで。こんなにおしゃべりだっただろうか、と自分でも思うほど、私は話を続けた。
静かな寝息。テーブルについた腕の上に頭を伏せて。
ベッドから掛け布団を引きずってきて、肩からかける。私の力ではベッドに運ぶことは無理だし、仕方がない。
真樹くんが大量に買ってきたジュースやお菓子は、さすがに二人では食べきれなかった。簡単に片づけて、壁に掛かった時計を見る。
午前四時前。本当なら今頃は、私は自分の部屋でぐっすり眠っていたはず。葉一と真樹くんは、酒でも飲みつつろくに課題も進まないまま、やっぱり眠っていたかも。
変に目がさえていた。眠いはずなのに寝つけそうもない。
葉一の馬鹿は、今頃彼女とよろしくやっているところかもしれない。自分の課題を手伝わせようと家に呼んだ友達を放り出していく辺り、ホント馬鹿だ。
帰ってきたら、何にも聞いてないふりして色々追求してやろうかしら。
そーっと、足音を立てないように部屋を出て、静かにドアを閉めると、一階へ下りる。
朝ご飯を夜中に買いに行く、と言っていた葉一はいないから、二人分の朝食があれば問題はない。真樹くんは葉一よりいっぱい食べる人かもしれないけど、お米を多めに炊いとけばいいだろう。
おかずにする材料は問題ないし、と頭の中で確認して、お米を研ぐ。
朝早いと葉一は言ってたけど、真樹くんはその事について何にも言ってなかったな。七時頃起こせば大丈夫かな。
炊飯器をセットして、私もそろそろ寝よう、と思ったけど、やっぱり無理そうだ。
真樹くんは朝起きたら帰るんだろうし、葉一は明日まで帰ってこないらしいし、一人になってからでもゆっくり眠れる。
明け方はやっぱり少し冷え込むな、と牛乳を温めてマグカップに注ぐ。それを持って静かに階段を昇って、自分の部屋に向かった。
立ち上げたままのパソコン。新しいものに目がない父親が導入を決めたADSLで常時接続してある。メーラーは定期的に受信チェックをする設定にしてある。
「……あれ」
思わず声を出してしまったのは、メールが届いていたからじゃなく、そのメールが真樹くんからのものだったせいだ。
二通ある。二通とも、差出アドレスは真樹くんのもの。
添付ファイルのマークがついている方から開くと、小さくてあまりはっきり映ってない私の写真が表示された。
「あーあ、写真写り悪いなあ」
苦笑い。送られた写真を見て、というよりは、これを真樹くんが削除せずに取って置いてるかもしれないことに。
後で消してって言おうか。一瞬そんな考えが浮かんだけど、私はそれを頭の中からさっと追い出した。
この時は深く考えなかったけれど、写りが悪くても、写真を持っていてくれてるかもしれないと少しでも考えることが、嬉しいのかもしれなかった。
マグカップを口に運び、ホットミルクを一口飲みながら、二通目のメールにカーソルを移す。
こっちも、やっぱり真樹くんからのメール。
たった一言。
「おやすみなさい」
送信時間は、十分程前だった。
モニターを眺めて、マウスを触る手は完全に止まった。
眠れない、と思った。
仕方ない、インターネットでもしてよう、と思ったはずなのに、定期的にメーラーを開いては、たった一言の、挨拶のメールを読み返してしまってた。
ゆりこさん、と私を呼ぶ声。笑顔。少し眠そうな目。のんびりした相槌。
頭から離れない。眠気を遠ざけてしまった。眠るのは無理だ、と強く思った。
厄介なことになっている。本当に。どうしていいかわからないくらいに。
卵焼き、焼き鮭、薄揚げの味噌汁、それに炊き立てのご飯。
定番の和食の朝食メニューを用意しながら時計を眺める。もうすぐ七時。
結局眠れなかった。
洗面所に新しいタオルや歯ブラシなんかを出している間も、真樹くんは起きて来ない。
葉一が、朝早いと言っていたから、もうそろそろ起こしておいた方がいいんじゃないかと判断して、階段を昇る。
葉一相手ならしないドアのノックをしてから、名前を呼ぶ。葉一は、声をかければすんなり起きてくるから、起こすのはそんなに大変じゃない。声をかけなければずーっと起きて来ないのが難点だけど。
部屋の中からは返事がない。仕方がないな、ともう一度ノックして名前を呼んでからドアを開ける。
カーテンを閉めておいた室内は薄暗い。テーブルに突っ伏して眠っていたはずの真樹くんは、肩からかけておいた布団を全身にかぶって、布団の塊だけが床に転がってて、真樹くんはいないように見えてしまう状態で床で寝ていた。
一瞬、ホントにいないのかと思ってしまった。ほんの一瞬なのに、ぎくっとした衝撃が大きくて驚いた。
いや、驚いてる場合じゃない。足音を立てないように真樹くんの側まで行って、床に屈み込む。
「真樹くん」
名前を呼びながら、布団の塊を揺すってみる。この辺が肩かな、と思って触れた部分は、確かに肩だったようだ。
低いうめき声が布団の中から聞こえた。くぐもってて何を言ってるのかわからない。多分、何も言ってないんだろう。意味のない、言葉になってないただの音。
それはすぐに止んで、静かになった。布団の中からの反応は途絶えた。どうやら、起こすのに失敗したらしい。
「真樹くんってば」
布団を揺すりながら、今度は布団の端をめくってみる。そろそろと少しずつめくっていくと、眠そうに体を丸めて目を閉じている真樹くんが見えた。
「……さむ」
もごもごとわずかに口が動いて、そんな言葉が聞こえた。いつもより低い、寝起きの声。
「真樹くん」
名を呼ぶ。繰り返し。駄目だ、心拍数が上がってる。
めくった布団を、手が探してる。私が軽く掴んでいる布団のすぐ側を掴んで、頭からかぶるように引き寄せる。目は閉じられたまま。これはやっぱり、起きてないな。
「さむいよう」
寝ぼけた声が、布団の中から聞こえた。起きてくれたのかと、もう一度布団をめくってみる。……どうやら、寝言だったっぽい。
「真樹くん、朝ご飯できてるよ」
落ち着かない。早く起きて欲しい。この状態が長く続くと、どうにかなっちゃいそうだ。
もう一度肩を揺すろうとのばした手を、しっかりと掴まれた。でも、真樹くんの目は、まだ閉じている。こちらには横顔を向けているままで。
「あさごはん、なに?」
低い声。どきりとする。まだ寝ぼけてるような、少したどたどしい話し方。
「卵焼きと鮭と味噌汁」
「わしょくだー……」
そう言ったっきり、真樹くんは黙った。間もなくすーすーと寝息が聞こえ始める。手を掴んだまま寝ちゃってる。私の手は、布団か何かだと思われてそうだ。
起きない、ということよりも、和食だーと言った反応に意識が行ってしまう。和食、嫌だったかな。コーヒーが駄目だって聞いたから、和食のほうがいいのかなと思ったけど。というより、和食しか材料がなかったってのが正解だけど。
「ねえ、起きて」
葉一がかなり寝起きがいい部類に入るなんて、今まで思ったことなんかなかった。真樹くんは、間違いなく寝起きが悪い。毎朝起こすの、絶対大変だわ。遅刻だってしょっちゅうしそうだし。
「和食が嫌だから起きてくれないの?」
どうせ寝てるんだから、ちょっとぐらい愚痴ってみよう。そういう軽い気持ちで言ってみる。
「ちがうよ」
返事があって驚く。
「ごめん、もーちょっとで、おきる、から」
私の手を掴んでない方の手で、ごしごしと目をこすった。どう見ても、もうすぐ起きるというよりは、寝ている間に見せるしぐさで、この後寝返り打って布団をかぶってすやすやと、って感じだ。
「たまごやき、あまくないやつ?」
「うん、出汁巻きだから」
「そっかー、おれ、それすき」
目を閉じたままで、真樹くんはにっこり笑った。
「ごめんね、毎朝こんな感じで……すぐ起きれないんだ」
また目をこすって、それでもまだ目は閉じていて、でも少しずつ話し方がしっかりしてくる。
ふと、触れてみたくなった。その頬に。
見慣れない、男の子の寝起き。家族じゃない人の寝起き。
一つ年下のはずなのに、弟と同い年のはずなのに、目を閉じて笑っているのに、私より年上に見える。
掴まれていない方の手を、そろそろと近づける。かすかに震えてるのが自分でもわかる。
ぴとっと、軽く指先が、頬というより口元に近い位置に触れた。
ぱっと手を引くのと同時。ぱちっと、はっきり、真樹くんの目が開いた。手を引き終えたか終えないかぐらいのタイミングで、真樹くんがこっちを見た。
「おはよう、朝ご飯できてるから。洗面道具、洗面所に置いといたし、使ってね」
しっかり掴まれてた手は、勢いよく、走って逃げるみたいに動いたら、簡単にほどけた。振り返らないで部屋を出て、階段を早足で降りる。
気づかれた、かも。嫌がられたの、かも。
何やってんだろ、私。
触れたら、ちくっていうかざらっていうか。
ひげの感触。間近で見た喉元。
ぱっとこっちを向いた時の、もう寝ぼけてなかった表情。
変に息苦しい。きゅううっと、引き絞られるような、変な感覚。
変だ。変としか言い表せない。あまり経験がないから。
もう、厄介だーって言って済むレベルじゃなくなってる。想像したとおりなら。
そうなら、これは。
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