□ 冬季限定 2
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冬季限定 index
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十二月上旬

 そういう問題じゃないでしょう、と何回言ったかわからない。
「台所でも押入れでも寝れるよ、俺」
「いい成績取っとけば学校は何も言わないし」
「ああ、家?文句は言うけど、探しはしないんだよねえ。そういう愛情はないんだよ」 「大丈夫大丈夫、ウチの高校、私服登校OKだしさ」  なかなかに口が立つ。何を言ってもしっかり反論してくる。
 けれど。
 私に、言うことを聞く必要性は、全くない。
 ないはずだ。
 別に、バイト先で一緒になっただけの、ただの知り合いだ。義理もない。大体、こうして言い合ってる間に自己紹介もない。
 高校生だと説明されて、驚く間も与えられないままに、すっかり私の部屋に転がり込むことが決定した気になっている発言が続いて、私は頭痛がしそうだった。
「……有坂くん」
 くん付けで呼ぶのは初めて。バイト中は絶対にさん付けしてたから。……それに、年上だと思ってたから。
 スタッフルームで、長い足を投げ出して椅子に座っている男を見下ろす。
 私服だと高校生には見えない。高校三年生なんて、もう大人。そう言えるかもしれない。顔も体も、幼さを感じさせる要素が残っていない。突飛なことを言ってくることが一番幼さを感じさせてくる。
「私、そういう倫理的に問題のある行動取るような女じゃないんですが」
 年下の高校生を部屋に住まわせてやるほどの経済力だってない。そんなものに付き合う暇だってない。彼氏でも何でもない。そう続けようとしたけれど。
「フユツグ」
「は?」
「俺の名前」
「だから何?」
「一つ屋根の下で暮らす仲じゃない。名前で呼んでよ」
 このなれなれしさは、何?
「暮らしません」
「高野さん」
「何ですか」
「名前の読みは、エイコでいいの?」
「……あきこ」
「そう読むのか。叡智の叡だからエイかと」
「そっちだって、何て書くのかわからないような名前じゃない」
「別に、叡子さんの名前が変だとか、言ってないじゃない」
 有坂くんは笑って、近くのテーブルの上にあった鉛筆で、これまた近くにあった紙の上に何かを書き込んだ。
「はい」
 それを私に、笑顔のままで差し出した。紙の端には、綺麗な、習字の教科書に載っていそうなほど綺麗な字で、「冬嗣」と書かれていた。
 日本史の教科書で見たことのある名前。
「……藤原じゃないのにね、名字」
 そう言うと、おや、とでも言いそうな顔つきになった。
「冬生まれだから、冬のつく名前にしたかったんだそうで」
 そして、やっぱり笑顔。
「やー、叡子さん頭いいんだねえ。さらっと出てくるんだ、藤原氏。……すげえ助かりそう」
「は?」
「色々勉強教えてもらえるよね、わかんないとこを、さらっと。やっぱ頭いい人選んで正解。うん。よかった」
 勝手に決めて、勝手に頷いてる。
「だから、さっきから言ってるとおり、家になんか住まわせる気、ないの」
「代わりに、提供できるものは提供するよ」
「何を?」
「付き合おうって言っただろ?」
 見た目に自信のある奴は、これだから嫌だ。
「俺、サービスいいよ、かなり」
「……どういうサービスだか知らないけど、要りません」
「彼氏、欲しくないの?」
 欲しい欲しくないで作るものではない、と思っている。
 第一、そんな暇はない。苦労して入った大学だし、しっかり学びたい。休みの間は、しっかり学ぶとという行為に最低限必要な金銭を稼ぐことに費やしたい。
 偽らざる本音。
 そのはずだ。
 それでも、目の前の男の笑顔は、本音など始めから存在しなかったみたいに、簡単に私を惹きつけてしまう。
「冬の間だけでいいんだ、ホントに。できる限りのお礼はする」
 真剣な眼差しもまた、私を惹きつけて離さない。
「邪魔されない時間と、机と、眠れるだけのスペースさえあれば、狭くても汚くても気にしないし」
 押しきれないのはどうしてだろう。どうして、押しきられてしまいそうなんだろう。何の弱みもないはずなのに。
 こんなことは間違っていると頭ではわかっているのに、どうして完全に拒絶してしまわないんだろう。
 こんな風な戸惑いさえ、見通しているように感じられる、澄んだ瞳。悪巧みして私を巻き込もうとしているくせに、どうして。
「付き合おうよ。ね?」
 付き合ってと懇願されたわけじゃないのに、どうして。

 そんなやりとりで攻め落とされて、結局、十一月の半ばから、受験生を一匹、家に飼っている。
 ペットと変わらない。そういう存在だ、有坂は。
 有坂くん、と呼ぶと嫌がった。名前で呼んでよ、と甘い声で囁く。
 それにわずかながらも抵抗してみせる結果として、私は彼を有坂と呼ぶ。
 有坂は私を叡子さんと呼ぶ。ちゃん付けも呼び捨ても却下してやった。本当ならご主人様と呼ばせてやるべきかもしれない。本当に、そういう状態だ。
「これ、今月のお家賃です」
 十二月に入ってすぐ、そう言って二万円差し出してきた。バイト代を貯めておいた個人的な蓄えから用意したらしい。
「お金を出すなら、友達が家に住まわせてくれたりするんじゃないの?」
「俺の友達に一人暮らししてるやついねえんだもん」
 バイト先にもいなかった。残った選択肢が私だっただけ。そんなことはよくわかってる。
 わかってるから、受け取る。面倒事を引き受けているのだから、これくらいは当然の報酬だと思いたい。むしろ不足していると思う。
 お金を払う以外、有坂は私に何をしてくれるでもない。ただそこにいるだけ。
 私が用意した食事を食べる。私が用意した風呂に入る。
 食器を洗うのも、洗濯するのも、掃除も、何にも手伝わない。
「俺受験生だもーん」
 逃げの台詞はいつもこれ。
「だからー、叡子さんに感謝の気持ちを示す方法なら、別なのがいいわけ、俺は」
 私の机を奪って勉強に夢中になると、話しかけても来ない。そうでなくてもこちらから話しかけることはないので、そうなると会話はなくなる。
 勉強が済むと、私に話しかけてくる。そうなると会話は弾む。訊ねられたことに答えているだけなのに、何故か。
 話している間、有坂はいつも微笑んでいる。優しい視線を私に向ける。それだけでいいのだ。私を上手く誤魔化すにも騙すにも、それだけで。
 それだけで私は勝手に勘違いする。
 女にお世辞を吐いていい気分にさせてやる。そういうお礼の方が得意なんだ、この男は。
 大して魅力のない女に向かって、そそられない欲求をかきたてて、そういう態度を取って。楽なことではないだろうけど、多少まずくても問題はないだろう。それだけの魅力があると、本人でなくても認めざるを得ない。
 私も、それを認めないでいることは難しい。
 年齢がそのまま彼氏いない歴になるような女、簡単にその気にさせられる。
 だからこそ、有坂は私を選んだ。
 その狙いどおりに私は行動した。有坂だけを責めることは、その時点でできなくなった。
 私は落ちたのだ。
 冬季限定でと前置きされ、本心ではない好意を示され、そのことを嫌というほど理解していながら、それでも欲しいと思ったのだ。
 理由は説明できない。自分でも、どうして、と未だに思う。
 それでも、もう、墜落してしまったのだ。取り返しのつかないことに。

「今日の晩飯、何?」
 ねだる言葉にも、そうでない言葉にも、素直に答えたりはしない。
 せめて態度だけは崩れることなく保ちたい。
 利用されているだけだと、ちゃんと理解はしているから。
 知られることは、私の状況を悪くすることはあっても、決して良くはしない。
「叡子さんって、何気に料理上手いよね」
 誉め言葉が本心かお世辞かの判断さえできないほどに、有坂に惹かれてる。
 誉め言葉だと受け取って喜ぶ気持ちと、お世辞だと受け取って軽く流そうという気持ちが、同時に湧き上がって大きく暴れる。
「誉めても何も出ないわよ」
 感情を表に出さないように押し留めて、可愛げのない口調になるよう意識する。
 これ以上、有坂に何も持って行かれたくない。好きだという感情も、純粋な欲求も。
 勿論、私の分のデザートも。
 暇なはずがないのに、わざわざプリンを作った。ひとつぐらい自分で食べないと気が済まない。4つ作った内、2つは冷やし固めている間に勝手に平らげられてしまってたのだ。


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