□ 冬季限定 3
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冬季限定 index
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十二月下旬

 クリスマスというのは、一大イベントなのだそうだ。
 私個人としては、そんなもんなのか、と思う程度。バイトに影響が出る以外では、何にも関係がない。
 クリスマスラッピングなんてサービスをやって、売上が上がるもんなのかどうか。売上が上がろうと下がろうとバイト代に変化はないので、その疑問は口には出さないでおく。
 冬休みなのでバイトをしている。だから、日中はバイト。
 バイトが終わったら帰宅して、課題を終わらせたり、買ったり借りたりしておいた本を読んだり。
 それと。
「ねえねえ、叡子さあん、腹減ったあ」
「玄関に出て来るなって言ってるでしょうが」
 アパートの自分の部屋の前に着く前に、鍵は右手に構えている。足音も、そんなにうるさくならないように気をつけている。それなのに。
「だって、一家の主がご帰宅だよ?お出迎えするでしょ」
 こっちが鍵を差し込む前にドアが開いて、お帰りなさいと言うより先に有坂が空腹を訴えてくる。
「だったら、三つ指ついてお出迎えして、ご飯にするかお風呂にするかぐらい、訊いてくれば?」
 私が一家の主というよりは、有坂がヒモ。そういう状態じゃないの?これって。
「やだよ、俺ペットだもん」
 アパートの住人と交流があるわけじゃない。でも、大家さんに知れたら、家賃は追加を請求されそうだ。賃貸契約に、居住一名のみ、ペット不可としっかり書かれていたことだし。
「いいから、早く入ってよ」
 有坂を押し込むように前へ進んで、後ろ手でドアを締める。ついでにロックもする。そのことに気を取られている隙に、左手で持っていたスーパーの買い物袋は、有坂にもぎ取られていた。
「ふーん、今日は炒め物?」
 袋の中を覗き込んで、有坂が訊いてくる。
 袋の中には、緑と赤のピーマン、たまねぎ、茹でてパック詰めされてるたけのこ、そして豚肉。
 他に何か言いたげで、でも何も言わないけれど、今きっと、昨夜の会話を思い出しているんだろう。
 青椒肉絲食べたいなあ。有坂のその一言に結局私は動かされて、まんまと材料を買い込んで帰ってきてしまった。
「でもさあ、肉は牛がよかったなあ」
「文句言うなら食べなくていい」
「あっ、嘘です。美味しくいただきます」
 冷静なふりをした。豚肉にしたのは、特売だったからって理由だけじゃない。有坂がきっと牛がよかったとごねるだろうと思ったからだ。
 ごねたら、嫌なら食べなくていい、嫌なら出ていって。そう言い返すきっかけになるから。
 言い返しても、有坂はすんなり引き下がって、何だか私のほうが悪いような気がしてきてしまう。有坂は、そういう風に感じさせるものを持っている。魅力とか何とかいう言葉で表すような、何か。
 でも、同時に安堵してもいた。
 有坂は出ていかないし、私の作った夕食もちゃんと食べる。その事実が私をホッとさせることに気がついてからは、もう冷静じゃいられなくなっていた。舞い上がってしまう感情を、決して表には出さないように、必死になる。
 不毛だと思う。
 確認したい為に、注文をつけさせる。完全に要望には応えない。
 そんなことをしても何の発展もないのに。
 わかっていてやめられない。病は深い、とその都度自覚もあるのに。自分で自分に呆れて、それでも、有坂がテレビを見て笑う声に紛れるタイミングで、小さく溜め息をついた。
 それから、たまねぎを刻み始めた。

「叡子さんは、誘われた?」
 ニュースがクリスマスに向けてライトアップされた街並の話題を告げ、各地の名所のイルミネーションを次々と紹介するのを見ていた。どこも人で賑わうとアナウンサーが話すのを聞いて、バイトに影響がないんなら何でもいいけど、と思ったところだった。
「何の話?」
 有坂の言葉に訊ね返す。えっ、という表情になった有坂は、次の瞬間にはもういつもの表情に戻って、言葉を続ける。
「だから、ああいうの、見に行こうよとか、デートとかさ」
 ああいうの、と言ったところでちらりとテレビのモニターを見た。きらびやかな飾り付けと眩しい電飾。
 クリスマスの予定を訊いている、とわかるのに時間がかかった。
「誘われないし、誘ってもない。バイトだし」
「バイトは夕方で終わるでしょ」
「シフト変わってあげるかもしれないし」
「え、誰と」
「有坂の知らない子」
 有坂はもうバイトをしていない。そりゃそうだ。入試に向けて追い込みだと言われている時期だ。テスト休みの間も家を出てうろついた様子もなさそう。
「何で」
「店長が、時給弾んでもいいっていうし」
 どうせ暇でしょう?と笑えない冗談を言われて、わざと嫌味なまでに笑ってやったことは、黙っておく。
「じゃあ、迎えに行っていい?」
「学校でしょう」
 二十四日は終業式だから朝早く起こしてね。そう、随分前から念を押されていた。有坂は、寝起きは悪くないけれど、起こさないと目を覚まさない。
「夜は空いてるよ」
「空けてなくていいから、どっか出かけてくれば」
「相手がいないもん」
「今から探せば?」
 有坂なら、今からでも簡単に見つかるだろう。クリスマスイブの夜を、恋人として過ごしてくれる女の子なんか、いくらでも。
「金もないし」
「それは私のせいじゃないわよ」
「ホテル入る金もないし、ここに連れてくるわけにもいかんでしょ」
 年下の高校生が、そんなことをさらりと言う。そういう経験があるのだとわからせる為に言ったのではないだろうけど。
 自分の部屋をホテル代わりに使われるなんてごめんだ。絶対に。冗談でも気持ちが悪い。
 感情がダイレクトに表情に出てしまっていたんだろう。
「叡子さんさあ、いちいちそんな、本気に取らないでよ」
 有坂が苦笑いする。遊び慣れている男からすると、冗談をいちいち本気にして顔をしかめる女なんか、鬱陶しいだけに違いない。
「からかいたくなるからさ」
 苦笑いは普通の笑顔に変わって、その後、何か企んでいるような顔に変わる。
「俺とデートすればいいよ」
「は?」
「俺にできるお礼はそんなもんだからね」
 私が勘違いする暇もない内に、有坂は現実を示す。
「お金は私持ちなんでしょう」
 忘れてはいけない現実の方は、自分で持ち出す。
「そんな余裕ないんで」
 嘘じゃない。一人分を想定してある仕送りとバイト代に二万円増えたところで、その二万円分以上を有坂が消費するから、家計は楽ではない。今月は、欲しい本を買うのを少し減らしたり、材料費を安く浮かせようとしたり、そういうことに頭を悩ませる時間もいつもより増えているはず。
「デートなら話は別。俺が出すよ。ホテル代までは出ないけどねえ、飯なら」
「じゃあその分頂戴。勿体無い」
 そんなお金があるなら、家で作って食べた方が得だし、お礼にもなるのに。
「そういうロマンもムードもないこと言わないの」
「ロマンもムードも食べられないんだから、しょうがないでしょう」
 言ってやったら、有坂は初めて困ったような顔をした。
「手強いなあ」
 そう言って溜め息をつく。そんな表情さえ整って見える。見た目のいい奴は、何をしても様になる。
「女の子誘うのにこんなに苦労するの、久々」
 じゃあさ、と言って、少し黙って、有坂はじっと私の目を見た。
「ここでパーティーしよう。ケーキとか買ってさ」
 どうにかしてクリスマスイベントに仕立てたいらしい、有坂は。
 ああ、そうか。自分がクリスマスムードを楽しむには、とりあえず私を丸め込む必要があるみたいだし、だから真剣なんだ。
 理由が想像できてしまうと、馬鹿馬鹿しくなってきてしまった。
「クリスマス時期はケーキが高いの」
「じゃあ、焼く?」
「私は別に食べたくないし。あ、ご馳走も食べたくないから作らないわよ」
 先手を打ってやる。
「えー?」
「だから、嫌なら一緒に遊んでくれる女の子、他に探せばいいのよ。私はいつもどおり家にいるから、ホテル代わりにはさせないから」
 本当は一緒に出掛けたい気持ちもあるけれど。
 それでも懐事情は油断ならないし、相手が真剣でないことも明白だし、お礼と称されるデートの後、逆にこっちがお礼を要求されそうな気もするし。
 きっと、高い代償を払う羽目になる。
 確信があった。私は、今よりももっと、有坂に惹きつけられてしまうだろうと。
 有坂が言った、冬の間だけって期間では、足りなくなってしまうはずだ。
「わかった、俺も手伝うからさあ、一緒にご馳走作って、クリスマスを堪能しようよー」
 駄々をこねる子供のような口調も可愛らしい。そんな態度でも、魅力は損なわれないのか。
「あんまり材料費がないの。だから、豪華なのは無理だから」
 言ったら、うんうんと嬉しそうに何度も頷いた。
 乗せられている。完全に。本心でなくても、ちょっとそんな態度を取ってみせれば、私はこんな風に簡単に言うことを聞いてしまう。
「普段の飯も美味いんだから、ご馳走なんか作ったらもう、すんげえ美味いんだろうなあ。楽しみだなあ。ちゃんと手伝うからね」
 台所に立つ有坂なんか、食べ足りなくて鍋や戸棚や冷蔵庫を漁ってるとこしか思い浮かばない。
 そんな姿しか、見せてもらってない。
 演技でも、とても嬉しそうに見えるから、乗せられてしまっておこう。それくらいなら、大丈夫かもしれない。取り返しのつかないところまで踏み込んで埋まってしまうようなことには、ならないで済むかも。
「でもやっぱ、七面鳥は無理だよねえ」
 有坂がもういつもの調子に戻っていることが、残念だ。
「うち、オーブンないからね。それは無理。でも生きてる七面鳥捕まえて持ってきたら、頑張ってあげてもいいけど」
 本当にそんなことをされたら、困り果ててしまうだろう。
 困り果てて、それでも、最終的には何とか頑張って調理してしまうかもしれない。
「肉屋で鶏肉買って来るんじゃ駄目なんだ?難しいなあ」
 完全に冗談だと理解されて、軽く返された。
 それでいいはずなのに。
 何とかして希望を叶えるための努力を最大限してしまいかねない気がしていた。
 そんなことをしたら、冗談が通じないねえ、と笑われるだけに決まっている。そうわかっているのに。


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