□ 過ぎる夏 1
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1.達筆な暑中見舞い

「暑っついなあ、もお」
 悪態をついて見上げた空は、とても青くて広くて、普段見るのとは違う。もこもこ大きな雲も、空を埋め尽くすことはない。
 直線でいびつな形に切り取られて一部分だけしか覗けないようなこともない。遮る高い建物なんか、ほとんどないのだから。
 足下は、コンクリートでもアスファルトでもない。土だ。
 さっきまで駅前のショッピングセンターで、目的の本を諦めて1時間かけて選んだサンダルを早速履いてるけど、既に靴擦れを起こしてしまった。
 立ち止まって溜め息をつく。手に持ったハンカチで汗を拭く。
 しゃれたデザインでも何でもない、一番無難な、履きやすそうなやつを選んだつもりだったのに。
 無難な白のブラウス、濃紺のGパン、そして、足下の黒いサンダル。
 足首の後ろ側にストラップ部分が触れて痛む。
 これじゃ靴も痛くて履けなさそう。
 下駄を履いて、浴衣を着るように、仕向けられてるみたいな気がしてしまう。
 今朝受け取ったばかりの葉書を思い出して、また溜め息をついた。

「さっちゃん、あんた宛に暑中見舞い来とったんやけど、渡すんすっかり忘れとったわ」
 おばちゃんが私に差し出した一枚の葉書。消印は3日程前。ギリギリ暑中見舞いの時期に届いていたものらしい。
「えらい達筆な人やねえ、大学の先生か何か?」
 おばちゃんには曖昧に頷いておく。
 差出人とは、同じ中学、高校ときて、大学も同じだ。
 佐藤司という名前。
 筆で書かれた美しい文字。
 これだけを見て、まさか金髪碧眼の容姿を想像出来るわけがない。
 葉書をひっくり返して、息を飲んだ。
 『暑中お見舞い申し上げます』と大きな文字で書かれた左隅に、小さく書き添えられていた文章。
「で、いつ来はるん?そのサトウさんて方」
 おばちゃんののんびりとした問い掛けは耳を素通りしていく。
 『花火の日に、そっちへ行きます。その時返事を聞かせて下さい』
「ねえねえ、サキちゃん、今日の花火大会、そのサトウさんと行くのん?浴衣用意しとくからねえ」
 葉書の文面と、それを見て呆然とする私を見て、勝手に気を回して勘違いしたらしいおばちゃんは、にやにや笑ってそんなことを言った。
「い、いや、ええておばちゃん!花火はこのカッコで行くし!ちょっと出てくるわ」
 焦って、混乱して、葉書をトートバッグにつっこんで、バタバタと家を出た。駅前の本屋に用がある。
 慌てて足に引っかけるようにして履いたサンダルは、駅前に着くまでに、ぶつんとストラップが切れた。

 返事。
 佐藤は葉書にそう書いた。
 何のことかは当然分かってる。
 今日みたいな暑さで、大学の通路沿いの大きな木の陰に避難した、7月の初め頃。夏休みに入る直前。
 隣りを歩く佐藤が人目を集めてしまうのは、背が高いからでも美形だからでもない。そのどちらもをクリアしていながら、別に要因があるのが凄いところだ。
 遠目にも眩しい金の髪、見つめられると落ち着かなくなってしまう深い青の瞳。
「なあ、佐保、昼飯どないしよか」
 その外見で、片言なんかじゃないなめらかな日本語と大阪弁が口から飛び出してくる。
 初めて会った中学1年の時こそ驚いたものの、6年も経てば慣れて当たり前の事になっている。知らない人はひたすら驚くだろうけど。
「荷造りあるから、今日はまっすぐ帰るし、家で食べるわ」
「え、どっか旅行でも行くんか?」
「里帰り」
「あー、おばさんちか」
 佐藤が言い当てる。私の家族が今はもういないことを知っているから。
 私の唯一の家族であり、佐藤のお父さんの親友だった父は、一昨年亡くなった。
 その後は、一人で暮らしてるおばちゃんちから高校に通って、東京の大学に進んでからも何かとお世話になっている。
「今年も花火大会あるんやろ」
 去年、行ってみたいという佐藤を連れて行ってやった。
 思い出しながら、手に持ったペットボトルのスポーツドリンクを一気飲みして空にする。
 佐藤は緑茶の缶を手の中でもてあそぶ。長くて細い指。
「今年は一人で行くから、誰かとはぐれて探し回らされることもないわな」
 夜店を眺めて歩くうちにはぐれて、花火の最中も探し回って、結局佐藤は逆ナンしてきたという可愛い浴衣のお嬢さん集団に取り囲まれておいでで、ちっとも楽しめなかった去年の花火大会。
「一人で行くん?えー」
 不満そうに言われる筋合いはないと思う。
「俺も行こかなあ」
 父親同士が親しかったことと、学校でもずっとクラスが同じだったことで、私達はそれなりに親しい。
 お互いの事情もそれなりに知っている。
 お互い早くに母親を亡くしてる、父子家庭。
 佐藤の本当のご両親は佐藤が生まれてすぐ亡くなって、当時イギリスの大学で助教授をしていた佐藤のお父さんが引き取って育てた。
 生まれてからずっと日本の生活様式で暮らしてきた佐藤は、外見さえ除けばどこにでもいる日本人なのだ。
「あんた、泊まるとこもうないやんか」
 佐藤が中学に上がる年に大阪の大学で教授をすることになった佐藤のお父さんは、今年から東京の大学で教授をしている。この春に引っ越しをしたばかりだ。
「佐保のおばさんち、俺も泊めてや」
「高校の時の友達とか、泊めてもろたらええやろ」
「佐保のおばさんち、遠いやんか」
 おばちゃんちは大阪府の南の果て近く、通ってた高校は北の果て近く。確かに、花火の後日帰りは、結構きつい。
「せやったら、難波とかでホテルとったら?」
「佐保も一緒に泊まるか?」
「ご冗談を」
 普段は軽くない奴の言う冗談は、いちいち本気なのかと疑ってしまうから面倒だ。
「ほな、おばさんに聞くだけ聞いてみてや」
 おばちゃんは聞かなくても、当日突然連れて行ったって、OK出すような人だ。でも。
「あかんもんはあかんの」
 同じ屋根の下だなんて、とんでもない。
「何でえな、ええやん」
「何やしつこいねえ、そないに花火好きやったっけ?」
 この美形には、近くにいすぎると、本当に何とも思ってなくてもドキドキさせられるのだ。
「佐保、去年浴衣着てくれへんかったやろ、今年は着て見してや」
「えー?こっちの花火大会行ったら浴衣なんかなんぼでも見れるやんか」
「佐保のが見たいて言うてんの」
 またそういうことを。冗談だと分かっていても、心臓には悪い。その視線も。
「じゃあ8月の下旬にでも、着るだけ着て見したるわ」
「そない長いこと大阪帰っとんの?」
「生活費浮かすにはおばちゃんちは魅力的なんやもん」
「うち来たら?親父も喜ぶし」
 私は慣れてるけど、知らない人なら、この顔でこの口が『おやじ』とか言うの、びっくりするだろうなあ。
「おばちゃんちのほうが、だらだら出来るもん」
 さすがに佐藤のお父さんの前でぐーたらな生活を送って見せる訳にもいかないし。
 佐藤と一つ屋根の下はまずいんだってば。
「せっかく夏休みやのに、佐保いてへんの、つまらんなあ」
 別に親しい人間が私一人ってわけでもないのに、佐藤が大げさに肩を落としてみせる。
「まあまあ、そないガッカリせんでも」
 とりあえずの慰めなんかを口にして、私は木陰から踏み出した。目が眩む。
「折角好きな子と楽しい夏休みを過ごそうと思てたのに、落ち込むなて言うほうが無理や」
 ぼやくような佐藤の声が聞こえた。振り返る。
「なあ、佐保、俺ずっと佐保の事好きやった。付き合ってる奴が居てへんのも知ってる。俺と付き合うてや」
 なあ、と。
 何気なくさらっと言ってのけながらも、冗談ではないと分かりすぎるほど分かる目をしている。
 笑い飛ばすことが出来なかった。
 逃げるように走ってその場から離れる事しか出来なかった。
 それっきり会うこともなく大阪に帰ってきた私に、返事を求める暑中見舞いを送ってよこした佐藤。
 『返事を聞かせて下さい』という佐藤の前に、浴衣で姿を現すなんて。
 まるでOKだと無言のうちに答えるようなもんじゃないのと思ってしまう。
 それだけは、嫌。
 だから浴衣は着たくない。
 何で私なの。
 私は、別に、あんたの隣りにいることが多いけど、お似合いって訳でもないし。
 それに、一番最初はかなり酷い遭遇のしかたしたと思ってるんだけど、私は。
 佐藤は違ったっていうんだろうか。
 私にとっては、そういうのとは、違う。
 違う、はず。


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