□ 過ぎる夏 2
2.浴衣を着るとか着ないとか
「あら、えらい派手に靴擦れしたんやねえ」
居間で救急箱から取り出した絆創膏を足首の後ろに貼っていると、おばちゃんが覗き込んできた。手には何やら布の包みを持ってる。
「さっき、サトウさんから電話あったんよ」
「え」
「携帯、置いてったやろ。しばらく鳴っとったけど、その後家にかかってきてねえ」
ことん、と目の前に置かれた私の携帯電話。
高校三年の後半をここで暮らしたので、佐藤はここの住所も電話番号も知ってる。
「何や早う着かはったんやて。ウチにいらしたらーて言うたら、すぐこっちに向かわはるて」
「え」
「浴衣着はる?て聞いたら、是非て言わはるし、ウチの人のん出して来たわ」
「ええっ」
いつの間に、そんな話に。
でも。
「おばちゃん、佐藤て背え高いんよ。おっちゃんの浴衣やったら無理やと思うわ」
「あら、ほんま?ほな、義兄さんのん、奥から出してこなあかんねえ」
おばちゃんの旦那さんである亡くなったおっちゃんは、あまり背の高い人ではなかった。父も、今の佐藤よりは背が低かったはず。
佐藤に浴衣、着せるのは無理なんじゃ?
そう思っていたら、携帯が鳴った。ばちんと音を立てて開くと、液晶には佐藤の名前。
「もしもし」
『ああ、佐保、俺』
「うん」
『今駅着いたんやけど、佐保のおばさんちて、どう行ったらええんかな』
「15分くらい待っとってくれたら行くけど」
『いや、ええよ、そっちまで何とか行くし』
「ほな、駅前の商店街まっすぐ抜けて、その後右。バス停が見えるまでまっすぐ行って」
『それから?』
「バス停で待ってる」
『……そうやって、家に近づけへんつもりなんちゃうん?』
「そんな」
そんつもりじゃ、なかったんだけど。
『冗談やて。とにかく、向かってるから』
「はいよ」
電話を切って、溜め息。
佐藤はの冗談は相変わらず分かりにくい。
暦の上ではもう秋。でもまだまだ暑い。8月いっぱいはやっぱり夏だろう。
屋根のないバス停の、色褪せたベンチに座っていると、遠くから長身の金髪が歩いてくる。
遠目にも分かりやすい佐藤が、こちらに気づいて笑顔になる。大きめのリュック一つで、ラフな服装だ。
「悪いなあ、暑いとこ迎えに来てもろて」
「いえいえ、遠いところようこそお越し下さいまして」
「去年以来やなあ。明るい時に来たら、こんなんなんやな」
物珍しそうに周囲を見渡す青い瞳。ええ、そりゃあもう、田舎ですから。
「何も手土産とかないんやけど」
「ああ、ええよそんなん」
話しながら歩いているうちに家に着く。
「あ、ここやし」
玄関の鍵を開けて、日の差さない暗い屋内に入ると、本当に何にも見えない。急いで玄関の電気をつけた。
「じゃあ、お邪魔しますー」
すぐ後ろに立つ佐藤の気配に胸が鳴る。離れようと急いでサンダルを脱ぎ捨てる。少し靴擦れが痛む。
佐藤を居間に通して、椅子を勧める。佐藤が席に着いたのを見届けて、冷蔵庫から麦茶を取り出してグラスに注ぐ。
「お言葉に甘えて浴衣着せてもらうて言うてしもたけど、ええんかな?」
「ええんよ。問題は、佐藤の身長に合う浴衣が見つかるかどうか、やけど」
麦茶をテーブルの佐藤の前の位置に置きながら、自分も向かいに座る。
そこへ、また布の包みを抱えたおばちゃんが戻ってきた。
「あら、まあ」
おばちゃんが口をあんぐり開けて佐藤を見た。
佐藤はちょっと戸惑ったような顔になる。そういう風に見られるのを、佐藤は嫌がる。金髪と青い目に注目されるのを。
「えらい男前なお客様やわ、おばちゃんドキドキするわー。さっちゃんも、前もって教えといてくれな、緊張するやないの」
おばちゃんが佐藤の髪や目について何も言わなかったのにこっそり安堵する。佐藤も笑顔になった。
「せやけど、これだけ背え高いと、浴衣、合わへんかもしれへんねえ……着いて早々やけど、ちょっと着て見せてもろてええかな?」
手に持った包みを解くと、白い生地の浴衣と紺の帯が表れる。
「サトウさん、ちょっと立って」
言葉に従って立ち上がった佐藤に、おばちゃんは浴衣を羽織らせようとして、手が届かなかった。
佐藤は笑顔のまま浴衣を受け取って、白い浴衣を羽織ってみせた。
「これやったら丈おかしいことないんちゃうかな」
父の浴衣を羽織る佐藤を見ていると、何だか落ち着かない気分。ごまかすように言うと、おばちゃんも頷く。
「あとは下駄やねえ。……サトウさんて、足も大きいね、下駄合うかな?出してくるわねえ」
ぱたぱたと足音を立てて、忙しく動き回るおばちゃんに、佐藤がくすっと笑った。
「家が賑やかなん、嬉しいんやと思うわ」
私が上京してからは一人暮らしだったから、淋しかったのかもしれない。
私の言葉に、佐藤の笑みが穏かなものに変わった。
「佐保の部屋はどこなん?」
リュックを部屋の角に置いて、佐藤がこちらを振り返りながら訊いてくる。
「二階」
麦茶を飲みながら短く答える。
「そういえば、課題は進んでる?」
「ううん、佐藤は?」
「まだ。ほな一緒にやろか」
そんな話をしていると、玄関からおばちゃんの呼ぶ声が聞こえてくる。
佐藤と二人で行ってみると、下駄を数足並べている。男物も、女物も。
「サトウさんもさっちゃんも、履きやすいのん選んでね」
おばちゃんがにっこり笑う。
「おばちゃん、あたしは浴衣着いひんよ」
慌てて言った私に、佐藤もおばちゃんもぱっと私の方を向いた。
「何で?」
二人して口を揃えて言う。
「何でて、めんどくさいやん」
「さっちゃん自分で着れるやん、めんどくさい?ほな着せたげるよ?」
「そうやのうて、着た後洗わなあかんしさ」
「そないなん、一着洗うんも二着洗うんも一緒やわ。サトウさんも着るんやし、さっちゃんも着たらええやないの。サトウさんもさっちゃんの浴衣姿見たいやんねえ?」
言葉に詰まってしまった。おばちゃんは佐藤に「いいえ」とは答えられない勢いで訊ねてるし。
「ええ、見たいです」
佐藤の返事は予想通りだったけど、言い方は予想外だった。
渋々答えたのでも、言わされたのでもなかった。本当に見たいと思ってるって分かる言い方だった。
心臓が変に弾んだ鼓動を打った。
居間のテーブルで課題をやっている間、おばちゃんは買い物に出た。
おばちゃんはしきりに佐藤に泊まっていくよう勧めたけど、佐藤は迷っているみたいだった。
手分けしてやれば、結構進んだ。この分だと、早めに終わらせてしまって、夏の後半はゆったりできそうだ。
外はいつの間にか薄暗くなっていた。
不思議な色の空だと思った。
「雨、降るかなあ」
私の視線を追って、外に目を向けた佐藤が言う。
言った途端にざあっと大きな音がし始めた。
「降ってきたねえ」
あんなに晴れてたのに、結構な量の雨が、止む気配もなくどんどん落ちてくる。
間もなくおばちゃんが帰ってきた。
「いやー、えらい急に降ってきたねえ」
そうは言っても傘を持ってる。多分知り合いの人に借りたんだろう。おばちゃんは顔が広い。
傘をさしていたのにスカートの裾が結構濡れていて、雨が強いことが分かる。
「このままやと、花火、明日に順延かもしれへんね」
雨が止まないまま外は暗くなって、しばらくすると電話が鳴った。
「やっぱり明日に順延やて」
知り合いからの最新情報を、おばちゃんが教えてくれた。
それを佐藤に伝えたら、佐藤は考え込んでしまった。そういえば、どこに泊まるかとか、全然聞いてなかったな。
「サトウさんは、お宿は決めてはるん?」
「それが、まだ決めてなくて。花火終わったら難波出て、それからどないかしようと思てたんですけど」
男の人は、その気になったらカプセルホテルとかがあるし。
「いつまでこっちにいてはるの?」
「決めてません」
「ほな、うち泊まらはったらどう?」
おばちゃんがとんでもないことを言い始めた。
「ご迷惑やないですか?」
「花火も明日になってしもたしね、部屋は余ってるし、女二人の家やから、男の人いたほうが安心やわ」
私を置いて、二人で話がまとまりかけてる。どうしよう。
「晩御飯も明日の朝ご飯も、豪華にするからねえ」
口を挟む間もなく、おばちゃんが決定打。
どうしよう。
同じ屋根の下で、なんて、まずい。
豪華な晩御飯の後、おばちゃんは早々とお風呂に入って自室に下がってしまった。
佐藤を放っておくわけにもいかなくて、居間で二人でテレビを見てるけど、この空気。
お互い落ちついてるふりしてるだけってことが、分かってる空気。お互いを探って、結局は何にも言えない状態。
「なあ、佐保」
佐藤がテレビのモニターを見たまま私を呼ぶ。
「佐保は、浴衣着るん嫌なん?」
浴衣が嫌なんじゃない、佐藤に着て見せるのが嫌なんだ。それが返事になるような気がして。
「俺、浴衣の佐保は見たいけど、それと返事の件は別やと思てるから」
お見通し、だ。
佐藤は頭がいい。悔しいくらい、読まれてる。
「着てや」
「……そやな、男の人が浴衣着て、女の人が洋服て組み合わせ、あんまし見いひんもんな」
だからこれも、ちゃんと読んでくれると思う。
そんな理由で仕方なく浴衣を着ると言ったわけじゃないってこと。
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