□ 過ぎる夏 3
3.眠れないまま、考えつかないまま。
布団の中で何度も寝返りを打った。
眠れないほどではないはずの暑さで、どうしても眠れないまま。
佐藤が私を選んだ理由は何なんだろう。
私は別に可愛いわけでも美人なわけでもない。取り柄は成績くらいだった。佐藤も成績はすごく良かった。私には敵うところがない。
東京の大学に進学を決める時、そういえば佐藤と口論になったっけ。
進路希望を訊ねられて教えたら、同じ大学の同じ学部を受けると即答された。
必死で勉強して、やっと合格圏内だって言われるようになった第一志望校は、父が亡くなった一件で成績が下がって、受験は無理だろうってことで、今の大学を受けたのだ。
佐藤は私に合わせてランクを下げる形になった。
佐藤の学力なら何の問題もなかったけど、私はその決め方に納得がいかなかった。私が受けるから佐藤も受けるっていうのは、何なのかと。
いい加減に決めてるわけやない、と静かで冷たい言葉を聞いた。
引き下がらない。
正直に言えば、そんな比較されるような真似はされたくなかった。成績だけでも、負けないものが欲しかったんだと思う。
結局は同じ大学で同じ学部に進んで、それが大きな理由になって、一緒にいる機会が多いんだと思ってた。
けど、佐藤は、最初から私にくっついてきたかったんだろうか。そう思えてきたら止まらなくなった。
それは変だと思ってしまうのは、一番最初の、初対面の時が酷かったせいだ。
佐藤も、あの初対面で私にいい印象なんか持ってるわけないと思うのに。いくら父親同士が親しかったからって、私達はそれほど親しくないと思ってたのに。
何で佐藤は、私を選んだんだろう。
「え?新入生代表?なんであたしが?」
中学の入学式の三日前、急に学校に呼び出された私と父さん。まだ入学していないので私は私服だ。
「あたし、入試の成績、トップなやかったはずでしょう」
トップだったら、もっと早く呼び出されて、打ち合わせとかして、それから入学式に臨むはず。それをこんなギリギリになって。
曖昧な笑顔を浮かべる女性の教師の表情、嫌な感じ。
「事情があって、代表で挨拶をするはずの子が辞退したいということでして」
その時室内に入って来た、スーツの似合う男性。
「大変急で申し訳ないのですが、お嬢さんにお願いしたいんですよ、佐保くん」
そう言って父さんに向かって微笑んだ。
「お、佐藤!おまえいつこっちに?」
「春からこっちで教えることになってね」
どうやら二人がかなり親しい間柄らしいということは、女性の教師にも分かっただろう。
「息子はちょっと訳ありでね、あまり目立つような真似をさせたくないんだ」
入試でトップ合格をしたのは、この人の息子なんだ。遠慮のない目線を向ける。
「早季子ちゃんだね。会うのは随分と久し振りだというのに、無理なお願いをして申し訳ないけれど、代理を引き受けてもらえないだろうか」
いちいち神経を逆撫でされている気分だった。
トップ合格すると、授業料は免除だ。それを狙っていたのに、逃して悔しかったのに。
目立ちたくないのは私もだ。授業料免除のオマケで代表挨拶をするなら諦めもつくけど、よりによって代理。
「佐藤の頼みは断られへんなあ」
父さんは所詮他人事だから、笑ってて、既に引き受ける気になってる。
「私には、全く得がない話ですね」
私はきっぱり言った。途端に他の大人三人は困った顔になった。
早口の英語が聞こえて、それが自分に向けられたものだと分かって、声のした方向を見た。
背の高い、金髪碧眼の少年が、スーツ姿で立っている。テレビや雑誌の中でしかお目にかかれないような美形で、スーツも似合ってて、七五三に見えることもない。最初、年上だと思った。
整った容姿の人物が今口にしたのが、私に向けられた非難だと、英語を知らなくても分かる。優しくない視線が、真っ直ぐこっちを向いてる。
意味の分かった父さんと佐藤って呼ばれた男の人は益々困った顔になって、英語の分からない、意味も掴み損ねた女性教師だけが不思議そうな顔をしている。
「おまえなら大して目立たないし、新入生代表って肩書きも手に入る。何が不満なんだ?」
そんなに偉そうなことを言う権利があんたにあるのかと言い返すより先に驚いてしまった。訛りの全くない、自然な日本語が、少年の口から吐き出されたことに。
それでも腹は立つ。所詮代理は代理で、授業料が免除されるわけでもないのに。
「司、そういう言い方はいけないよ」
穏やかに諌める佐藤さんに、でも父さん、と口答えする少年。
こんなことで時間を無駄にするのも馬鹿馬鹿しかった。仕事を抜けて来てもらった父さんをこれ以上困らせても仕方がない。
諦めることには慣れている。結局私が折れた。
佐藤司の言ったとおり『目立たない新入生代表代理』をこなして、あんな平凡な子が今年は代表なんだ、という視線をめいっぱい浴びた。
父さんが、仕事が忙しくて入学式に来れなかった事を、ものすごく感謝した。
それから夏休みになるまで、同じクラスになった佐藤とは、一切口をきかなかった。
男女で分けない、あいうえお順で振られた出席番号のせいで、佐藤は私の前の座席だったけど、何か用があったって、必要以上の言葉を佐藤に向けて言うことさえ嫌だった。
佐藤は、物静かだけど、見た目が派手なせいで、注目は嫌でも集まる。そのことをあからさまに嫌がる。
言葉も柔らかくはない。どちらかというと、きついことを平然と言う。
そのお陰で、傲慢な奴だという私の持った第一印象は、全然抜けなかった。
テストの成績が学年トップだということも、気に入らない理由の一つではあった。
夏休みに入って、親同士が親しく行き来するようになって、それにくっついていくしかない私と佐藤は、仕方なく、それなりに親しく見えるように振舞うようになった。
それでも私は、佐藤が、嫌いというよりは腹が立って、苦手だった。少しずつ慣れて、そういう気持ちは消えていって、今ではほとんどそんな風に思うことはなくなったけど。
だからって、好きだと言われても、付き合おうと言われても。
最初が最初だったお陰で、私は佐藤の外見には全くなびかない。佐藤がカッコイイ見た目をしているから佐藤と親しくしているわけじゃない。見た目がいいことは認めるけど、中身の印象のほうがよっぽど強く焼きついてるから。
そんな存在は、佐藤の周りには私くらいなのかもしれない。だから佐藤は私を望むんじゃないだろうか。そんな気がする。
そういう理由じゃないんだったら、十人並の容姿で、自分より優れた頭脳を持っているわけでもない私のことを、佐藤が望む理由が分からない。
それよりも何よりも、本当に問題なのは、強引な佐藤を折れさせることができたことなんか、私には一度もないということだった。
付き合う気はないから、と伝えたところで、佐藤があっさり引き下がるなんて、とても思えないのだ。
納得させるだけの理由を、考えなくちゃいけない。
理由を考えることは、自分の気持ちをはっきりさせることでもある。
ところが、自分のことのはずなのに、それが一番厄介なことでもあるようだった。
考えつかないまま外は明るくなり始め、結局朝になってしまった。
折角朝早く起きているのだから、と散歩にでも出ることにして、身支度を整えて一階に降りる。
早起きのおばちゃんは、5時半だというのにもう起きていて、朝食の準備なんか始めている。
「あら、さっちゃんも早いんやねえ」
「も?」
「サトウさん、さっき起きて散歩に行かはったよ。迷わはったらあかんし、さっちゃん、追っかけてったら?」
顔を合わせるのは、気が引けた。
「やっぱり、もう少し寝るわ」
「あら、そう?」
散歩しながら、佐藤を納得させる理由を考えるのは、やめよう。
布団の中ででもいい、少し寝坊するのもいいかも。
今は別に、嫌いではないんだけど、佐藤の隣りに並ぶことがどこか怖い。
顔を合わせたら、流されてしまう気がする。
嫌いではないから、佐藤を納得させる理由を考えつくのは、とても難しいんだと思う。
それでもやっぱり、私達がそれほど親しかったとは、どうも思えない。
私達が親しかったんじゃなくて、佐藤には私以上に、私には佐藤以上に、親しいと言えるだけの間柄の相手がいなかっただけ。
そんな感じ。
佐藤は違ったんだ。
何で私なんだろう。
それは聞いてみないと分からないことだけど、一番気になるのは、そのことみたいだ。
ぐるぐる頭の中をいろんなことがめぐっていく。
ずっと好きだったって、いつからのことを言ってたんだろう。
やっと訪れた眠りに、答えの出ない疑問は押し流されていってしまった。
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