□ 過ぎる夏 16
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16.よく似てる

 お昼はおじさんと三人で外に食べにいく予定だった、と佐藤は言った。
 そのおじさんは今、夕方には戻ると言い置いて仕事に出掛けてしまったから、さてどうしようか、という状態になっているのが今。
 晩ご飯は、鍋にでもしようか。そういう予定で材料もちょっと買い足す程度でいいようにしてあるそうだ。
「……駅前に、ハンバーガーでも買いに行くか食べにいくかしよか?」
 佐藤の言葉に、私は首を横に振った。
「大福ようけ食べたもん、そないすぐ食べられへんわ」
「そうか?」
 言ったら佐藤は不思議そうにしてる。佐藤だっていっぱい食べたくせに、と思うけど、胃袋の許容量が全然違うらしい。
「ほな、何か軽く作るかなあ」
 お茶を飲み干して佐藤が席を立つ。台所から、冷蔵庫を探る音が聞こえてくる。
「佐保、全く食えへんの?」
「全くとは言わんけども……」
「ちょっとは食えるよな?よし、焼きうどんでも作るか」
 佐藤が料理する。そのことにちょっと不安を覚えてしまうのは、この前のおかゆの件があったせいだと思う。私も台所へ移動した。
 うどんを二玉、にんじん、しいたけ。佐藤が焼きうどんの材料としてテーブルに並べたのは、これだけ。
「……これで焼きうどん作るん?」
 私がいかにも不審そうに訊ねたので、佐藤はちょっと顔をしかめた。
「鍋の材料しかないんやもん、しゃあないやん」
「キャベツとか、たまねぎとかもやしとか」
「ないよ」
 佐藤は平然と材料を手に取り、水洗いすると切り始めた。手つきはあまり危なっかしくはないけど、問題は味とか。
「何味にすんの?」
「醤油味」
「ほな、鰹節は?」
「ああ、上の棚に入ってる」
 上の棚、と佐藤が視線を向けた場所は、かなり高い場所。私の身長では、背伸びしても届かない程の。
 佐藤がコンロに火をつけてフライパンを熱しているので、背伸びして何とかならないものかと試してみたけど、どうも無理らしい。
 諦めがつかずに繰り返し手をのばしていると、後ろからのびてきた手があっさりと棚を開けて、中から鰹節の袋を取り出した。
 背が高いとこういう時便利なんだろうな、と思う。本音は、ちょっと悔しい。佐藤に出来て、私に出来ないことは多くて。
「……そない不安やったら、佐保が味付けしてや」
 じっと見ていたら、佐藤がそう言った。不安だから見てたんじゃなくて、ちょっと悔しいから見てたんだけど、まあいいか。佐藤と立ち位置を代わって、結局調理は私が引き受けた。
「……ん?」
「どないした?」
「これって、佐藤がほとんど食べるんやんなあ。あたしが作ったげる必要は、ないんやない?」
「まあまあ、そない言わんと。美味しいの作ってや」
 佐藤が笑う。いたずらをしかけた子供みたいな。そういう表情にもどきっとさせられてしまうことがわかって、少し戸惑った。
 
「大福は?」
 帰ってくるなり、おじさんの第一声がこうだったので、私は笑ってしまった。
 佐藤は、わざとだってわかる程度のしかめっ面で「全部食うたわ」と言った。
 その言葉を聞いて、目に見えてがっかりした表情になったおじさんを見てると、本当に大学教授なんだろうか、と疑問に思えてくる。
 勿論おじさんの分はちゃんと残してあって、それを発見したおじさんは、にんまりと笑いながら大急ぎで手を洗いに洗面所へ走るのだった。それを見て私は、今度は声を立てて笑ってしまった。
 お昼を食べて、おじさんの書斎でのんびり本を読ませてもらって過ごして、今、窓の外の空はもう赤い。
「あーあ、お昼食べ損ねたんだよなあ」
 おじさんがぼやいたのを聞いて、佐藤も、そろそろ夕食の用意をしようと笑った。
 
 外食以外で複数で鍋を囲むのは、随分と久し振り。
 こうしてじっくりおじさんと佐藤とご飯を食べるのも、久し振り。
 おじさんは、父さんの若い頃の話をしてくれた。
「そうやって、しめじばっかり食べてたなあ。折角肉もあるのに、全然食わないで」
 私の食べ方を見て、親子だからやっぱり似てる、とおじさんは笑う。
「それいうたら、おじさんと佐藤かて、さっきから春菊ばっかし食べてませんか?」
「佐保、騙されんなや。親父は春菊取ってるふりして、さっきから肉ばっかし取って食うとんねや」
 佐藤がおじさんにも聞かせるように狙いながらも耳打ちする姿勢で私に言う。
「ばれたか」
 おじさんがそう言ってにやっと笑ってみせたりするから、私は笑ってしまう。
 笑ってばっかりだ。私を笑わせようと二人して結託してるみたいに、絶妙なタイミング。この場に父さんがいないことは淋しいけれど、私を自然と楽しい気持ちにさせてしまうおじさんと佐藤に乗せられて、私はいっぱい笑った。
 あんまり笑い過ぎて食べ過ぎて、ちょっと苦しくなってる間に、佐藤が駅前のコンビニまで行ってくると出掛けていった。
 おじさんはてきぱきと鍋や食器を片付け始める。手伝おうとすると、いいから座ってなさい、と制止されてしまった。
 それでもやっぱり、ただ座っているのもどうかと思って、おじさんが洗った食器を拭いて食器棚に片付けることにした。
「こうやってると、早季子さんが家の娘ならいいのになって思うよ」
 おじさんはいたずらっぽく笑う。その顔が、昼間見た佐藤の笑顔に似ているように感じて、私も笑う。
「笑ってていいの?結構意味深なんだけどな、今の」
 おじさんはまだ笑ったままで、言葉を続けた。そこまで言われるまで、気づかなかった。手に持った皿を落としそうになって、それに気づいたおじさんは、少し目を細める笑顔になった。
「早季子さんは、重によく似てるね。隠し事が下手で、見てて何を考えてるかすぐわかってしまう」
 はっきり言われて、私はうつむいてしまった。
「司は、わかりにくいんだ。隠すのが上手くてね。それなのに、一つだけ、わかり過ぎるほどわかることがあってね」
 それが何を指してるのか、さすがに何となく想像がつく。
「……まあ、それは私の口からどうこう言うことじゃないから置いておくとして、私としては、さっき言ったとおり、早季子さんが……これじゃどうこう言ってるのと同じだね。もうやめとこう」
 洗い物をしながら話してるおじさんのしぐさ。佐藤によく似てる。いや、佐藤がおじさんに似てるんだ。
「あんまり言うと、後で司がうるさそうだし。……あ、そうそう、早季子さん」
「はい」
「今日、泊まっていかないか?」
「え……」
「早季子さんが嫌ならいいんだけど、色々話せるよ。お母さんの話とか、重の若い頃のこととかね。そういう話、重はしなかっただろう?」
 父さんは、確かにそういう話は私にほとんどしてくれなかった。古い写真も家にはなかった。父さんは、思い出すのがつらかったんだろう。
「でも、父さんや母さんの話するのに、おじさんも、思い出したくないこと、思い出したりせなあかんことないですか?」
 箱に入ってたアルバムや、整理されてなかった写真。頻繁に取り出して眺めていたとは思えない。ずっと、目に触れない場所に仕舞い込まれていたんじゃないだろうか。
「もう、昔の話だからね」
 おじさんの言葉からは、本当にそう思っている、取り繕って言ったんじゃないってことがわかる。
「若い頃は辛かったことも、今はもう平気だったりするよ。今だからわかることもあるし、ね」
 おばちゃんが似たようなことを言っていたのを思い出す。「子供やないからわかることもある」だったっけ。
「今わからへんのは、子供やからなんかなあ。もっと時間が経たんと、わからんのかなあ」
 それは、おじさんに話しかけてるわけじゃなくて、ただの独り言だった。おじさんにもそれがわかったのか、返事はなかった。ふと見上げると、おじさんは、穏かに微笑んでた。その笑顔は、父さんを思い出させる。
 
 佐藤がコンビニから帰ってきた。大きいサイズの袋を二つも下げて帰ってきたので、何を買ってきたのかと袋を覗き込むと、お菓子やジュースの他にビールやカクテルの缶が入ってた。
「あ、あずきバーやん」
 佐藤が既に袋から取り出してたアイスの箱に目をやる。
 私の声に、居間にいたおじさんがぱっとこっちを向く。
「親父は大福があるやろ。アイスは俺らで食うからな。あ、後、言われたとおり酒買うてきたから」
 おじさんは大福を頬張ってる。佐藤が箱を開けてアイスを差し出してくる。ビニールの包装を破いて、一口かじった。ビールなんかを冷蔵庫に片付け終わると、佐藤もアイスを食べ始める。
 後から食べ始めたはずの佐藤の方が、先に食べ終わってる。
「早よ食べな、溶けるで」
 佐藤が、溶けかかった私のアイスを見て笑う。
「ほんま、子供みたいな食べ方なんやもんなあ」
 溶け落ちそうな部分に慌ててかぶりつくと、そう言って佐藤はまた笑う。
「まあ、食べ方が子供みたいなんはええんやけど、飲み方はなあ。親父、佐保のこと潰す気いらしいから、気いつけときや」
 笑ったまま、佐藤が声をひそめた。
「え?」
「酒買うてきたやんか。親父、佐保に飲まして潰して帰らさへんつもりなんやで」
「ええっ」
「親父、佐保のこと気にいっとるからなあ」
 そういう問題じゃないと思う。一応未成年なんですけど。大学教授が未成年に酒飲ますの?
「佐保、別に酒に弱いわけやないもんなあ。この前の合コンでも普通に飲んどって、別に酔うてなかったしな。……って、佐保」
「あ」
 残り少ないアイスがとろけて、雫が指を伝ってた。
 それを見て、佐藤はやっぱり、また笑った。
 
 結局、おじさんが私を酔わせて潰すことはなかった。おじさんの方が先に酔い潰れたから。
「アホやなあ、親父が一番酒弱いのになあ」
 佐藤がどこからか毛布を出してきて、居間のソファに寝転がってるおじさんにかぶせる。
「酔っ払いが、昔の話ばっかしタラタラしよって、なあ」
 おじさんの口から語られる父さんや母さんの若い頃の話は、聞いたことのないものばかりで、私は聞き入った。
 途中から、幼い頃の佐藤の話になって、もっと聞き入ったんだけど、そこから佐藤がおじさんにガンガン酒を飲ませて、今こういう状態になってる。
「親父に車で送らしたろかと思とってんけど、これやと無理やな」
 佐藤は免許を持っていないから、車で帰るのは無理だ。時計を見る。終電に間に合わないという程ではない時間。
「夜は危ないし、一人で帰す気はないで」
 そろそろ帰ろうかな、と言いかけた私に、佐藤が先手を打った。
「でも」
「俺が佐保を家まで送ってったら、俺が今度帰ってこれへんようなるしな。佐保の家に泊めてくれるんやったら、送ってくけど?」
 それまで笑ってた佐藤が、一瞬だけ、真剣な目をした。
 その後すぐに笑顔に戻って、
「親父が、朝起きて佐保がいてへんかったらごねよるから、泊まってってや」
 と言った。
 ほんの一瞬だったのに、深い青色の真剣な目に見とれてしまったみたいになってた私は、すんなり頷いてしまった。
 おじさんが、佐藤は隠すのが上手いって言ってたけど、今のは、つい本心が覗いたのか、わざと本心を覗かせたのか、結局私には判断がつかなかった。
 

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