□ 過ぎる夏 5
5.後は儚く消えていくだけ
「こんで、ええんかな」
和室にある化粧台の大きな三面鏡を開いて、その前で佐藤が自分の浴衣姿を確認している。
くるくると向きを変えては、鏡に映る自分を眺めている。その様子が子供みたいで少し笑ってしまう。
「なあ、何や似合わへんことない?」
後ろに立った私を振り返る。白っぽい、クリーム色に近い色の生地の浴衣と濃紺の帯。お世辞抜きで似合ってる。
「よう似合てる」
髪が金でも違和感はない。白っぽくなるまで脱色した金髪で浴衣を着る男の人だっている。そういう人より絶対に似合ってる。長身で、凛々しい印象。
「そうか?」
私の言葉に納得したのかしていないのか、また鏡の中の自分を眺めてる。
「外行って、おかしいことないかな」
「あたしの着付けが心配やったら、やめといてもええけどね」
「そういう意味やないよ」
わかってる。佐藤は気にし始めたんだ。
金髪だけではない、外見が日本人ではない自分が、浴衣を来て外に出た時の、周囲の反応。物珍しそうに、遠慮ない視線が向けられる状況に、ちょくちょく出くわすと思う。
「でも、似合てる」
それは誰が見てもそうだと思う。似合っているし、かっこいい。
「ほな、あたしも風呂入って着替えるわな」
和室の角に吊るされている女物の浴衣一式を手に取って、風呂場へ移動する。脱衣スペースにも一応上半身がしっかり映せるだけの鏡があるから、そこで着替えてしまえばいい。
少し考えて、髪を洗うことにした。
後ろで結わえるには微妙な長さ。洗ってもすぐに乾くだろうから、少しサッパリすることにしよう。
本当の理由は、頭から水をかぶりたかったから。
頭を冷やしたかったから。
佐藤は、浴衣を着たのは初めてだったんだろう。それなのに、あんなに似合うなんて。予想してなかったから、またドキドキしてきてしまってた。
落ち着かない。この後、夜も二人だけだということも、原因のひとつだ。
頭は冷えない。わからない。私は佐藤のことをどう思っているんだろう。
友達というのとも少し違うような気がする。勿論恋人ではない。家族同然の付き合い、という例えを当てはめる程は親しくなかったと思う。同級生。これが一番合う。
でも佐藤は違った。私をずっと好きだったと言った。付き合ってと。
今までは、長い時間佐藤の近くで過ごしていても、こんなに動揺したことはない。それほど意識していた記憶もない。多少は意識することもあったと認めるけど。
佐藤の気持ちを聞いて、過剰な程意識してしまうようになったんだ。
駄目だ。引きずられてるみたいだ。
これ以上は無駄だ。風邪をひくことはあっても、頭は冷えない。
シャワーから吹き出す水を止めて、脱衣スペースにかけておいたバスタオルを頭からかぶる。乱暴に髪を拭く。頭を揺さぶるみたいに激しく。そんなことをしても、考えを振り解けない。
佐藤のことばかり考えている。佐藤が来た昨日からずっと。
いや、佐藤に告白された直後から、もうずっと。
短い髪はタオルで拭いた後軽くドライヤーをあてればすぐに乾いた。
深めのVネックの半袖シャツを頭から被って、浴衣を羽織る。着るのは久し振りだけど、着方は覚えてる。帯の締め方も。
結わえた帯の形を整えて確認して、背中側に回す。後ろは三面鏡の方が確認しやすいから、とりあえず正面からの様子だけをか鏡でチェック。
可もなく不可もなく、平凡な浴衣姿だと思った。
後ろで一つに結ぶには少しだけ足りない長さの髪も、ヘアピンをいっぱい使えばそれらしくまとめることはできそうだけど、そうしても、多分あまり変わらない。
佐藤のように、似合うと言うには少し足りない。
隣りを歩いて似合うと思われるには、少し足りない。
見た目を気にする必要なんかないはずなのに、佐藤の隣りをこの姿で歩くことを考えると、もう少しどうにか、と思ってしまう。
そんな自分は嫌なのに、輪になった黒いゴムとヘアピンを手に取る。
後ろでまとめた髪は、さっきよりは浴衣に合う。それでも足りない。
普段は面倒だからしない化粧も、したほうがいいのかもしれない。少しだけ色がつくリップクリームを塗ってみる。
そこでまた、足りないと思ったり、そんな自分が嫌になったり。
佐藤は私のどこがいいと思ったんだろう。
「遅いからのぼせてんちゃうか思た」
和室に戻ると、佐藤が笑った。
三面鏡の前に立って、後ろを確認する。特におかしいところはないようだ。髪も、こんなもんだろうという程度にはまとまっている。
「似合うな」
私の後ろに立ってる佐藤が、心臓を弾ませる力を持つ笑顔で言う。でも、嬉しいとは思えない。複雑な気持ち。自分ではそれほど似合うとは思えないし。
「下駄、合わせよか。まだ履いてへんかったやろ」
佐藤を見ないで玄関に向かう。佐藤は何も言わないでついてきた。
「これ、ちょっと履いてみて」
下駄を置くと、佐藤が無言で下駄を履く。少しきつそうだ。
「歩けそう?」
佐藤は首を横に振る。家にある下駄の中で一番大きそうなものを試してみたけど、やっぱりきつそうにしてる。
「うーん……あかんか」
「歩くんはしんどいな」
「じゃあ浴衣やめていつもの格好で行くか」
私の言葉に、佐藤が「え?」と訊き返す。
「あたしも浴衣やめとこかな。楽な格好で行ったらええやん」
「折角着たのに?」
「脱ぐんは簡単やし、脱いだら適当に置いといてくれたら後で片付けるわ」
「ほな、家で見ようや」
「え?」
「佐保の部屋のベランダから花火見えるて、おばさん言うてはった」
「でも」
「それやったら下駄気にせんでええやろ。折角着たんやし」
結局佐藤に押し切られた。
こんなことでも佐藤を折れさせることができない。こんなことで、どうやって断ればいいんだろう。
花火が上がる場所から家までの距離は、500mくらいだろうか。音がすごい。ガラスが振動したり、体を衝撃が突き抜けるのがはっきりわかったりする。
ベランダに出て、打ち上げが始まった花火が目の前に大きく開くのを眺める。ベランダはさすがに蒸し暑い。
「なあ、部屋の中で座ってても見えるで」
床にあぐらをかいて座っている佐藤が、私に向かって大きめの声で言う。
でも、何だか並んで側にいるのは、嫌だと思ってしまったから、花火の音で聞こえなかったふりをして、振り返るのはやめた。
「佐保」
そしたら佐藤はもっと大きい声で私を呼んだ。これはさすがに聞こえないふりはできない。仕方なく振り返る。
「おいで」
立ち上がって、私を手招きする。
慣れない。
もう長いこと知り合いで友達というポジションにいるはずなのに、その目でまっすぐ見られると、いつも脈拍が増す。
逆らえない。
私が部屋に入ると、佐藤がガラス戸を引いて締めてしまった。
その後部屋のドアの側にあるリモコンを操作してエアコンをつけて、さっきまで座っていた場所に腰を下ろした。
「佐保も座り」
トントン、と座っているすぐ側の床を手で叩いて指し示す。やっぱり逆らえないまま、それでも少しだけ離れたところに足を崩して座る。
「そっからやと見えへんことない?」
「平気」
花火がぱあっと明るさを増して広がり、少し遅れて破裂音がどぉん、と響く。
そのことに集中できるようになるのに、やけに時間がかかった。
「似合てるな」
「え?」
急に引き戻されて佐藤の方を向くと、佐藤は花火を見てはいなかった。じっと私の方を見ていた。
「いつもそないしてくくったり、塗ったりしたらええのに」
そんなことを言われるとは思ってなかった。返事ができない。どんどん心臓の音が早く、大きくなっていく。
顔も赤いかもしれない。そしたらもう、どうやっても誤魔化せない。佐藤が気づかないでいてくれることを祈るしかない。
「可愛い」
それは佐藤の本心だったかもしれない。けど、私は、その言葉でふと、冷静になった。
可愛いわけがない。
去年の夏、佐藤を逆ナンした女の子達も。
中学や高校の頃、佐藤に告白しに教室を訪れた女の子も。
街で、振り返って佐藤を目で追う着飾った女の人も。
みんな、私よりよっぽどかわいい子ばっかりだったのに。
「可愛ないて」
「可愛い。まあ、もし佐保が可愛なくても、俺は佐保のこと好きやけど」
好きだという言葉をさっき言われていたら、私は降参するしかなかったかもしれない。
でも、今はもう、脈拍は落ち着いていた。体が一気に冷えていくような感覚の中で、佐藤の言葉を聞いていた。
「じゃあ、何で好きなん?」
聞くな、と頭のどこかで自分の声がする。聞いてしまったら、聞かなかった時には戻れない。
それでも、私は、それをきちんと聞いておかなければ、と思った。
佐藤は落ち着いてる。答えにくい、照れてしまいそうなことを聞かれているはずなのに。
「それは」
佐藤の言葉の続きを待つ間も、頭の中の「聞くな」という声はボリュームを増す。冷たい汗が背中を流れて、エアコンのせいでもないのに指先がどんどん冷えていく。
予感があった。聞かないほうが身のためだ、という予感が。
「佐保とおると、落ち着く」
耳を覆いたくなるような気持ちをこらえる。
「佐保やったら、そういう風には接したりせえへんし、お互いのことようわかってるし」
そういう、という言葉の指す意味は、嫌という程わかってる。
佐藤の外見に好奇の目を向ける、事情をきちんと理解してもいないのに同情をちらつかせる、偏見をにじませる。
佐藤が私の何を知っていると言うんだろう。
佐藤が私の何を好きだって言うんだろう。
佐藤が挙げた内容はどれも、私を指している言葉のようで、全部、私の環境からくることを指してるだけだ。
私と同じ環境で誰か別の女の子が過ごしたとしても、当てはまる。
私じゃなくてもいい。
聞かないほうが身のためって、本当だ。
佐藤は、私を好きなんじゃない。
「俺ら、合うやん」
合うんじゃない。合わせてるだけ。
大学も学科も佐藤が私に合わせただけ。親しく過ごしていたのは、親同士が仲が良くて、私達が仲良くしていれば親が喜んだから。
そう言ってしまうこともできる。
手を握り合わせる。冷たいのに汗ばんだ指先。
「せやから、佐保と付き合いたい」
はい、と返事ができないことがよくわかった。
「俺ら、うまいこと行くと思う」
衝撃を受けていた。好きじゃないはずなのに。
「そういう理由やったら、あたしは、佐藤とは付き合わへん」
佐藤のことを好きじゃないはずなのに、とても傷ついた。それなのに、佐藤の方がよっぽど傷ついた顔をした。
それでも、衝撃は一瞬。
強烈に破裂して、その後は儚く消えていくだけ。
花火みたいに。
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