□ 過ぎる夏 12
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12.何で来たん

 次の日は大学へ行けた。まだ咳は出るけど、もう熱はない。
「風邪、引くのちょっと早かったね」
 合コンの幹事役の子にそう言われて、やっぱり欠席はさせてもらえないのかと理解して苦笑い。
「だって、主役なんだもん。佐保ちゃんが来ないと、何の為の合コンかわかんないでしょ」
 そう言うこの子に今彼氏がいないことは、いくらこういう話に疎い私でも知ってるんだから。自分の彼氏探しという大きな目的の隠れ蓑として私が利用されていることはよくわかってる。一応、悪意はないことも。
「佐保ちゃんスカートはいておいでよ?」
「えー」
「メイクもするんだからね」
 面倒だと思いつつ、拒否権はなさそうなので黙っておく。
 休んだ分の講義のノートを借りる話などをしつつ、普通に喋れているのか気になった。
 昨日の夕方の衝撃を、私はまだ引きずっている。佐藤に会わなくても、名前を聞くだけで取り乱せそうな気がするくらい。
 キスは初めてだった。佐藤は違うだろうなと思うけど、私にとってはファーストキスってやつだった。
 別に、何てことはない、皮膚と皮膚がくっついただけのもの。それだけのことに、こんなに動揺させる力があるなんて。
 その日、佐藤は大学を休んでた。

 合コンの日、言われたとおりスカートをはいて登校した。
 歩きにくいからタイトスカートは嫌い。黒の、デザインもシンプルな、膝丈のフレアースカート。膝下までの黒のハイソックスに、黒のローファー。上は、これまたシンプルな、クリーム色のコットンブラウス。
 夕方になって、合コンに出るメンバーがカフェテリアに集合した。
「佐保ちゃんがおしゃれしてる……」
 普段、楽でラフな格好ばかりしているから、この程度の服装でおしゃれだとか言ってもらえる。それはちょっとだけお得かも。
「いつもそういう格好して、そこそこメイクしたらいいのに」
「嫌や、めんどくさいやん」
 答えている間に椅子に座らされる。数人の女の子に囲まれる。
「な、なに?」
 ちょっと怖い。
「何って、メイクするって言っといたじゃん」
 手際良く前髪を上げてピンで留められる。別の女の子の手には、コットンと液体の入ったボトル。
「大学に何でこんな色々持ってきてんねんな」
「普通はこれくらい持ってるよ。佐保ちゃんが何にもしなさすぎなの」
 逆らえず、抗議の声も上げられず、大した時間もかからない内に私は飾り立てられてしまった。
「かわいー!普段からこうしとけばいいのにー」
 顔中に化粧下地やファンデーションを塗られて、睫毛にまで細工されて、べっとりとグロスを塗られた唇を手の甲で拭いたくなるのを我慢するのが大変。
 いつもとは違う場所で髪を分けられて、ピンで留めたりカーラーで巻いたり、仕上げにヘアスプレーを吹きつけられたり。
 毎日こんな手間なこと、自分一人だけでやるなんて、私には絶対無理。
 渡された手鏡に映る自分の顔が、自分のものじゃないみたいで、変な感じがする。普段はこんな格好は滅多にしないし、化粧なんかもっとしない。普段の私とのギャップは大きい。
 合コンなんか、やっぱり私が行く意味がない。それでも連れて行かれてしまう。彼氏なんか、ホントにいらないのに。

「かしこまってもしょうがないしね、軽い店にしときました」
 って幹事の子は言うけど、私はこんな店に来るのは初めてだ。チェーン系じゃない、内装もおしゃれな居酒屋。
「なあ、今更やけど、会費いくらなん?」
「五千円」
「ご……っ」
 絶句。何日分の食費だと思ってんの!と大声を上げそうになってしまう。
「でも佐保ちゃんの分は男の子が多めに払う分から出すから、無料でいいよん」
「ええの?」
「実は、ノートのコピーでチャラ、って話でまとまったんだけどね。テスト前はよろしく」
 そんな話をしていると、男の人達が来たらしい。
「一人キャンセルで、別の奴は後から来るから」
 よく見てみたら、学部は違うけど、うちの大学の人ばっかり。
 別に自己紹介をするわけでもなく、なりゆきで会話が始まってみると、一人多い女の子の中であぶれているのは私。
 私に彼氏を、とか言ってた女の子達、既に目の色が違う。
 ちょっと笑いそう。まあ、こんなもんよねえ。
 時折話をこっちに振ってくるから、軽く相槌を打ったり、質問に答えたり。結局は飲んだり食べたりしている時間の方が長い。栄養あるもの食べて風邪を治さないと、という気持ちも少しあるから、その方がありがたかったりもするし。
「あ、来た」
 端の席の男の人が、店の入口を見て手を挙げた。
 店の入口で店員さんと言葉を交わしていた背の高い人が、こっちに気づいて手を振り返す。
 ぎょっとしたのは私だけじゃなかった。
 薄暗い店内で、距離があっても、ちゃんとわかる明るい色の髪。
「あれが最後の一人」
 別の男の人が言う。私以外の女の子達も、私ほどではないけど、それぞれびっくりしている。
 その人は、歩いてきて、にっこり笑って名乗った。
「ピンチヒッター頼まれました、佐藤です」
 ぱっと幹事の子に目をやる。かすかに首を横に振ってる。佐藤が来るなんて知らなかった、そういう意味だとはわかる。けど。佐藤は、私の向かいの空いた席に当然のように腰掛けた。仕組まれてるような気がしてきた。
 
「今日は珍しく着飾ってんねんな」
 軽い調子で佐藤が言う。その声が、少しだけいつもと違うのに、すぐに気づく。
「風邪、うつった?」
「うん。でももう治りかけやし」
 確かに声以外は普通。私はまだたまに咳が出るけど、佐藤はそんなことはない。
 何事もなかったように、私達以外のメンバーはそれぞれ会話が弾んで盛り上がっている、ように見える。
「何で、佐藤が来たん」
「ピンチヒッターで」
 笑顔を崩さないままの佐藤。丁度運ばれてきたビールを美味しそうに飲む。すぐにジョッキを空にして、料理にも手をのばす。
 結局、私はそのままずっと、佐藤とばかり話をしていた。これじゃ合コンじゃないなと思った。いつもと何にも変わらない。
 いつもと違うのは、私がちょっと動揺したままでいたってことだけ。
 それでも、動揺を表に出さないことには成功してたと思う。佐藤のことだから、読まれたかもしれないけど。
 最後の方には、もういつも通りに戻ってた。普通に佐藤と話してるいつもの状態で、いつもの気持ちだった。

 二次会はカラオケ、という話になって、風邪を引いてる私と佐藤はそこで帰ることにした。
 実際、私と佐藤以外はそれぞれ二人組でうまくまとまっているようだし、私に彼氏をと散々言っていたくせに誰も文句を言わなかった。
 駅に向かう人通りの多い道を、佐藤と二人で歩く。たまにだけど、佐藤を振り返ってる人がいる。
「ちょっと飲み過ぎたかな」
 佐藤はいつもより少しだけ、よく笑う。顔色は変わらないのに、ちょっとだけ機嫌がいいのか。だとしたら、酔ってるんだろうなあ。
 笑顔で雰囲気が柔らかい感じになってて、益々目を引くんだろうなと想像もつく。確かに魅力的。
「なあ」
 少しだけ前を歩く佐藤に声をかける。振り返った佐藤も、やっぱり笑顔だ。
「何で来たん」
 ピンチヒッターなんて嘘だと思ってるから、また訊いた。
「知り合いが誘われて出る予定の合コンのメンバー聞いたら、佐保の名前が入っとったから、昼飯で買収した」
 やっぱり。そんなことだと思った。
「佐保が彼氏欲しいから積極的に合コンに出てるって話やったら、邪魔せんとこと思たけど、話聞いたらちゃうみたいやったし」
 それは当たってる。結果を考えれば、佐藤には感謝してもいいくらいだ。面倒なことが何にも起きずに済んだし。
「ホンマに好きな相手が他にちゃんといるって言うてくれれば引くけど、そやない内は俺は引けへん」
 佐藤は酔ってるのか、かすかに笑った表情のままで平然と話し続ける。
「でも、あんまり押しても、佐保に嫌われたら困るし。まあ、今回だけやし、安心しとって」
「……佐藤、酔うてる?」
「うん、ちょっとだけな」
 でも、酔った勢いでそんなことを言ってるわけじゃないんだろうなと思う。
 佐藤は、私を上から下まで眺めて、軽く息をついた。そこでかすかな笑顔がふっと消える。
「そういう格好、他の奴に見せんの、惜しいな」
 これは、多分酔った勢いで言った言葉だと思った。その後肩に手を回してきたのも。
 嫌な気はしないから、そのままにしておく。
 本当はここで嫌な気持ちになるべきなのかもしれないけど、肩に手を回してくるなんていう、され慣れてはいないはずのことをされても、別に構わなかった。
 ちょっと気になったのは、そうやってくっついたことで、すれ違う人がこっちを振り返ったりすることのほうで、その理由も、注目されて、佐藤は嫌じゃないかな、ということだった。
「ごめん、これっきりにしとくから」
 私の耳元に唇を寄せて、小さな声で囁く。忘れていた動揺が戻ってくる。
 佐藤は酔ってなんかないって、やっと気づいた。
 酔ったふり、だ。
 それでもやっぱり嫌な気はしない。
 次に会った時はもう、ホントに今まで通りの態度に戻して私に接するんだろうし、こうやって触れてるのも今だけだと思う。根拠もないのにそう思う。
「風邪治ったら飲みに行こか」
「ホンマはあかんねんよな、一応未成年やもんな、あたしら」
 どうしていいかわからないと頭で思ってるのに、一応は佐藤と普通に話をしている。
 駅の改札に着くまで、佐藤は私の肩から手を外さなかった。
 ゆっくりと手が離れていくことを、少し残念に思った。
 自分の気持ちのことなのに、わかるのはそれぐらい。情けないことに。


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