□ 過ぎる夏 14
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14.いちご大福と古い写真

「親父が、遊びにおいでて言うてるんやけど、週末空いてるか?」
 たまにこうやって佐藤は私を家に誘う。二〜三ヶ月に一回くらい。けど、今回は半年振りくらい。春頃にお邪魔して以来だ。
 佐藤のお父さんのお招きに応じて、父さんが亡くなった後も遊びに行ってた。東京に出てきてそれが減ったけど、佐藤のお父さんが忙しいせいだろうなあと思う。
 佐藤のお父さんにはよくしてもらっている。珍しい、入手が難しい専門書なんかがぎっしり書架に収まってる書斎に入れてもらうのも好きだ。
「うん、お邪魔する。土曜?日曜」
「泊まりで」
 佐藤がよどみなく言ったのに、私は言葉に詰まった。
「佐保は親父のお気に入りやからなあ。来るん久々やし、ゆっくりいといて欲しいんやろなあて思うけど、嫌やったらどっちかでええよ」
 泊まりで、と希望しているのは佐藤のお父さんなのに、佐藤は普通の態度だというのに、どきどきしてしまう。
「んー、一応土曜で予定しといて」
「わかった。泊まれそうやったらゆっくりおってええしな。どうせ部屋なんか余っとんねやし」
 これも、普通の態度で言われた。大学教授って儲かるのかも、としみじみ思う程、佐藤の家は広い。佐藤も佐藤のお父さんも「広いだけ」っていうけど、そんなのは嘘だっていくら何でもわかる。
 そんな広い家なのに、家政婦さんはいないらしい。部屋の掃除や洗濯なんかは、家事が得意な佐藤のお父さんが休みにまとめてやるんだそうだ。
 佐藤も手伝うらしいけど、料理だけは苦手って聞いたことがある。少なくともおかゆは得意ではないということは、体験済みでもある。
 家にお邪魔するならやっぱり手土産の一つでも、ということを自分で考えるようになったのは、父が亡くなってから。でも、気を使わないで、と佐藤のお父さんは言う。
 そんなわけにはいかないだろう。買ったものを持って行くと恐縮されそうだし、金曜の夜に大福でも作ろうか、と頭の隅のほうで考えていた。佐藤も、佐藤のお父さんも、和菓子が好きなのだ。

「ご無沙汰してます」
 本当にね、と言いながら笑顔で出迎えてくれる、佐藤のお父さん。おじさん、と呼んでいたら、「お兄さんでもいいよ」なんて言ったりする、堅苦しさのない人。今でもお兄さんと呼んでもギリギリ通るぐらいの外見、とまでは言い過ぎだとしても、年齢よりはかなり若く見える。
 あれでも、勉強してる時と教えてる時だけは、結構迫力あるんや、と父さんが言ってたのを懐かしく思う。
「あ、これ、いちご大福です」
 箱に入れて、布で包んで、それをまた紙袋に入れたものを差し出す。
「わざわざそんな、気を使わなくてもいいのに」
 そう言いながらもおじさんは笑顔のまま。紙袋の中身を確認して、にっこり。
「司、お茶淹れよう。いちご大福、しかもお手製の」
「朝から大福食うんか?」
「いいじゃないか」
「おやつにとっとき」
 呆れたように言う佐藤も、笑顔。二人を見てると、父さんを思い出す。でも、もうここにはいない。そのことが少し淋しい。少し、と思えるようになるまでは、思いの他時間がかかったっけ。

「そうそう、この前書斎を片付けてた時に見つけたんだ」
 おじさんは、A4版ぐらいの大きさの、元はお菓子が入ってた感じの、古い箱を持ってきた。
 おじさんが箱の蓋を開けると、中には、古い写真がばらばらと入っていて、その下にはアルバムらしきものも見える。
「……うわ、この人」
 カラーではない写真。枠の中で、妙に気取ったポーズを決めて、にっと笑っている。どこかで見たような人。
「ああ、それ、重だよ」
「え、父さん?!」
「若い頃はなかなかさわやかだろう?」
 さわやかすぎて気持ちが悪い、とまではいかないけど、かなり笑っちゃいそうだ。気障だし。
「ほな、こっちが親父か」
 横から佐藤の手がのびてきて、箱の中から数人が写ってる写真をぴらっと拾い上げる。男の人は二人だけだから、父さんじゃないほうがおじさんってことになるんだろう。
「おじさん、男前……」
「私も昔はもてたもんだ。司にも負けてなかったね」
 おじさんが得意げに笑うと、佐藤が軽く肘でつつく仕草をする。
「親父は今の方がもてるやろ。単位欲しさに女子大生がようけ寄って来よるんやろ?」
 佐藤のそんな言葉も、おじさんは軽く笑って受け流す。
「あれ、この女の人……」
「美佳さんだよ」
「……これが母さんかあ」
 私が小さい頃に亡くなった母さん。ほとんど記憶に残っていない。母さんが亡くなった時に父さんが写真を処分してしまったって聞いたから、今まで写真を見たことがなかった。
 儚い印象の人。こうして見ると、私は父さん似だ。私は、どっちかっていうと逞しい部類に入るから。
「……これ、おばさんちゃうん?」
 佐藤が指差した女の人。母さんより少し若い、母さんによく似ている女の人。女の子って呼んでも差し支えないような。
「美沙さんだね」
「おばちゃん、えらい母さんと似ててんねえ」
 私の何気ない一言に、おじさんは一瞬動きを止めた。私が気づくくらいだから、佐藤も気づいただろう。
「この、もう一人の女の人は?」
 何だか、話を変えたほうがいいような気がして、咄嗟にそう訊ねてみる。
「それは、私の奥さんだった人」
 今度は、おじさんは普通。佐藤がちょっとだけ眉をひそめた。
「お袋、佐保のお母さんらと親しいしとったって言うとったっけ」
 佐藤のお母さんが亡くなったのは、母さんが亡くなったのより後。佐藤には、お母さんの思い出がある。私にはもう、父さんもいない。やっぱり少し淋しい。
 私が黙ってしまうと、しばらくの間沈黙が続いた。
「あ、もっと面白いもの、見る?」
 おじさんは急に、本当に面白くて堪らない、という笑顔になって、箱の底の方を探り始めた。
 私と佐藤は、その動作を黙って見ている。
「あった、これだ」
 おじさんが写真を私の目の前に差し出すなり、佐藤が大声を上げてそれをひったくろうとする。おじさんはそれをあっさりとかわして、写真を佐藤から遠ざけた。私が写真を見る暇もなく。
「そんなもん出してくんなや、卑怯やぞ!」
 佐藤がやたら動揺して騒いでる。とても珍しい光景。焦った表情も、声を荒げるところも、あまりお目にかかったことはない。
 佐藤がもう一度写真を奪おうと手をのばす。その時、電話の音が大きく鳴り響いた。
「おっと、電話電話」
 おじさんはそう言ってさっと立ち上がると、写真を持ったまま居間を出ていった。
「……なあ」
 声をかけながらまだ迷ってた。おばちゃんの話にしようか、佐藤が慌てて取ろうとした写真の話にしようか。
「まあ、色々あったんやろけど、過去形で語れる程にはなったんやな」
 何の話かはわかる。佐藤に考えを読んで先回りされたことも。
「そんで佐藤はええの?」
 おじさんが『だった』って言い方をした時、佐藤はちょっとだけだけど反応してた。引っかかるものがあったんじゃないかと思う。
「ええも何も、もう十年も経つんやしな」
「ほんまに?」
「ほんまやて。まだ納得いかへんて顔しとんな」
「せやかて、佐藤てうまいこと隠してまうから」
 佐藤が一瞬言葉に詰まった。
 そこへ、おじさんが戻ってくる。
「ちょっと大学まで行ってくる」
「え、今からですか?」
「夕方には帰るよ」
 大学の教授ともなると、土日もないくらい忙しかったりするのかな。父さんは普通の会社員だったからわからないけど。でも、今までは、お家にお邪魔してる間に呼び出されて出かけるなんて、なかったなあ。
 おじさんは、写真を佐藤に差し出した。佐藤はそれをぱっと取ってポケットに押し込む。
「早季子さん」
 おじさんは、何かを企んでるような表情で笑いながら私を呼んだ。
「さっきの写真だけど、司に『見せて』って頼むといいよ。司、絶対断れないから。それに、早季子さんにも見る権利はあるし」
「親父!」
「はいはい、とっとと出かけます。……夕方には戻るからね、それまでに写真見せてもらっとくといい」
 おじさんにかかると、佐藤もいつもとは違う顔をいっぱい見せる羽目に陥るんだろうか、最近では。
 佐藤は溜め息。
 沈黙と、玄関のドアの音の後に、佐藤がもう一度溜め息。
「大福、二人で全部食うてまおう」
「え?」
「下らんこと言いよるし、親父にはやらん」
 そう言うと、佐藤は立ち上がって台所に消えた。音からして、お茶を淹れるつもりのようだ。
「本気で言うてんの?」
「本気や」
 離れてても聞こえる程の大きな声で佐藤は返事してくる。
「せやけど、二人で一気に十個も食べられへんのんちゃう?」
「食える」
「一人五個やで?」
「何やったら俺一人で十個食うてもええ」
 何だかムキになってる。おじさんの持ち出してきた写真には、そんなに佐藤を困らせたり焦らせたりするものが写ってるんだろうか。
 そんな態度だと、余計に気になってしまう。
 おじさんは、私が「見せて」って頼めば佐藤は断れないって言った。絶対にって言うからには、何か理由があるんだろうか。
「なあ、佐藤」
 お茶を淹れて台所から出てきた佐藤を呼ぶ。
「あかんて」
「まだ何も言うてへんて」
「何言われるかわかってる」
「……写真、み」
 佐藤が、湯呑の乗ったお盆を片手で持ち直して、空いた手で私の口を塞ぐ。見して、と言いかけてた言葉が口の中に閉じ込められる。
「大福、食べようや」
 頷くまでこの手はのけてもらえないんだろう。
 あまりぐずぐずしていられない。
 触れられた部分が熱を持ち始めてる。佐藤に気づかれる前に、頷いてしまわないと。


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