□ 過ぎる夏 18
18.過ぎる夏
秋の後に冬が来て、春が行ってしまうと、夏がまた来る。
梅雨ももうすぐ開けそうな、よく晴れた日の午後。
今日の講義も全部終わって、私はいつものようにベンチのない木陰に座り込んでぼんやりしていた。
約束はしていない。けど、ここにいると佐藤がやってくる。
確かな取り決めなんか一度も交わしてないし、確認もしないのに、今ではそれはもう当たり前のことになってた。
その状況を誰かに冷やかされたりすることも、今ではもうない。
「佐保ちゃんと佐藤くんて、どう見ても、縁側で日向ぼっこする茶飲み友達みたいな雰囲気なんだもん」
同じ学科の子にそう言われたことがある。
「若いのに枯れてるねえ」
「枯れてるというか、付き合い長いとそうなっちゃうのかなあ」
冷やかされないだけで、私と佐藤が付き合ってるという認識は、あまり変わらないみたい。
それをいちいち否定して回ることも、もうやめてから結構経つ。
「佐保ー」
日向から、ここまではまだ少し距離のある位置から、佐藤が私を呼んで手を振る。
風が吹いて髪がなびく。明るい金色と、深いけれど、光の加減で明るく見える青い目。離れていても、それはよくわかる。
振ってない方の手には日本茶のペットボトルを持ってる。最近はずっと同じメーカーの同じお茶。
私が手を振り返すと、軽く走ってきて私の隣りに腰を下ろす。そしてペットボトルのキャップを開けて、半分ほど一気に飲み干す。
最近では、いつもそうだ。
最近、こういうことを訊くと、佐藤は困るか怒るかするんじゃないかって思うけど、訊いてみたいことがある。
どうしてなのか、訊いてみたいと強く思うこと。
「去年、何で唐突に告白なんかしたん?」
図々しいことを訊いている自覚はあるけど、どうしても訊いてみたかった。
何で急に、とでも言いたそうな佐藤の顔を見ながら、何で最近それがそんなに気になるんだろうと考えている。
「唐突に言いたくなって、我慢できんようなったから」
ちょっとした決心をもって訊ねたのに、拍子抜けするような簡単な説明。私は首をかしげてしまう。
「そういうもんなん?」
「何やそういうタイミングやったんやろなあとは思うけど、何でやろな」
佐藤は穏かに笑う。そして、木陰に座り込んだまま大きくのびをした。これでその話はおしまい、という合図のように思えたので、私はそれ以上訊くのをやめた。
そういうもんなんだろう。考えてもきっと、答えが出ない、そういう。
佐藤は、好きだと言ったり、過剰に触れてきたりはしないし、私も何も言ってない。
クリスマス、お正月、春休み、四月の佐藤の誕生日、五月の私の誕生日……大学生になったことで変わったことはあっても、それ以外は、今までと特に変わらずに、普通に過ぎていった。
時折、佐藤の気持ちが見える時がある。
ふと、真剣な目をしたり、何とも言えない微笑みを浮かべたり。
一瞬のことだから、ずっと気づかずにこれた。けど、一度気づけば、その後はもう、すぐにわかることだった。
その、時折訪れる一瞬を、いつの間にか待つようになったのに気づいたのは、自分のことなのについ最近のこと。
「今年も花火観に帰るん?」
何となく聞いてみただけ、という感じの佐藤。
「うん」
それに深く考えずに軽く返事する。
それから、少しだけ息を止める。
「佐藤も行こうや。おばちゃんち、泊まったらええし」
思ったよりも、この言葉を口にするのは簡単だった。なめらかに言葉が出ていって、聞いた佐藤が変に感じることもなさそう。
「んー、ご迷惑でないんやったら、そないしよかな」
思ったとおり、佐藤は平然と答えた。
じっと見ていた。佐藤が何かを覆い隠そうとしたら、すぐに気づけるように。
私の視線に気づいて、佐藤が目を少し細める。最近、佐藤がそうやって笑うのを見る機会が増えた。
穏かに笑う佐藤の目は、木陰にいるせいで青くは見えない。金の髪も、跳ね返す光がなくて、少し明るいだけにしか見えない。それでもやっぱり、私を落ち着かなくさせる力は衰えない。
最近では、力は増しているんだと思う。
脈拍が速くなるのを、前は不安と困惑の中で受け止めていたけれど、最近は違う。
少し苦しいと思えるこの状況を、楽しむとまではいかないけれど、嬉しいような気持ちで味わっていたりする。
それが、佐藤には見た目に明らかに伝わっているのかどうか。
私は隠すのが下手だから、ばれてしまっているのかもしれない。けど、佐藤は何も言わない。
「今年は、下駄買って夜店回ろうか」
「それもええな」
佐藤に下駄を買うなら、私には新しいサンダルを買おう。靴擦れしない、履き心地のいいやつ。
あと、浴衣に似合う髪留めとか。去年より少しだけ伸ばした髪は、ピンをいっぱい使わなくても何とか後ろで一つに結わえられるから。
穏かで落ちついて心地いい、夏になる前の木陰。まだ風は少しは涼しく感じられる。
でももうすぐ、暑い夏が来ることはわかってる。今でももう、日向に長時間いるのは嫌だと思う程暑い時間帯もあるし。
去年と同じように夏は過ぎていくだろうか。
何となく、違うんだろうなという気がしてる。
去年と変わらないのは、隣りには佐藤がいるだろうということ。
「今年は早う帰らんのんか?」
「花火の前後だけ帰ろうかなあ思てる。バイトとかしよっかなーとか」
「そうか」
「うん」
わかったらきっと、呆れるほど簡単だったのに、と思うようなことなんだと思う。
ずっと解けなかった問題。答えの端を掴めそうで掴めない感覚。
多分もうすぐ、唐突に答えがするっと手の中に落ちてくるんじゃないか。
何となく、そんな気がしてる。
「親父が、また遊びにおいでて。庭でバーベキューやろかとか言うてるで」
「おじさんて、キャンプとか行ったりしはらへんやんなあ?」
「佐保呼ぶ為やったらあの人、その為だけにバーベキューセット買うで。そういう人やしなあ」
「んー、おじさんらしいっちゅうか何ちゅうか……」
夏が来るのが待ち遠しい。
去年の今頃も、同じように夏を、というより夏休みを楽しみにしてはいたけれど、今年は、少し違う。
どう違うのか、うまく説明はできないと思うのに、楽しみに待っている。
これから過ぎる夏、隣りに佐藤にいて欲しいという感情を、正体は曖昧なままで、それでももう逃がさないようにしっかりと抱えて、吹き抜ける風に目を閉じた。
(end)
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