□ 過ぎる夏 7
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7.違和感

「佐保ちゃんが一人でいるの、何か新鮮」
「あれ、今日って佐藤休み?」
「いっつも佐藤くんが一緒だったのに、珍しいね」
 ……散々言われた。
 言われるまでもない。私自身、そんなの嫌って程身に染みてわかってる。
 意識したことがなかっただけで、今こうして離れてみて、それでやっと気づいた。
 佐藤は、いつもすぐ近くにいた。中学に入ってからだから、もう7年目だった。
 それなのに私は、やっとそれに気がついた。やっと。今更。
 何だか調子が出ない。違和感が拭い去れない。

「佐保ちゃんも彼氏作ればいいじゃん」
 そんな風に言われても、実感が湧かない。
「別に、欲しないもん」
「最初はお友達からでもいいんだし、軽いノリで付き合ってみればいいのよ」
「そんなことあたしに言うてくる人、いてへんもん」
「佐保ちゃんだったら、関西出身の子とか合うんじゃない?」
 そうやって盛り上がってる友達連中に、私は少しだけ呆れた。また話のネタにされてる。そういうの、苦手なのに。
「やっぱ合コンしようよ。佐保ちゃんに彼氏を!」
 その話の中心にいるはずの私は、既に会話には全く口がはさめていない。
「いらんから、ほんまに。そういうの、ええの」
「そう?」
 そこで話は終了してくれたかと思ったけど、違った。
「やっぱ、佐藤くん見慣れてたら、並の男の子じゃ駄目だよね」
「佐藤レベルのメンバーは揃えるの無理だよ」
 話の矛先は、それたようで全くそれていない。
 結局はそうやって、ネタにされ続けてる。
 苦手だ。
 こういう話は、どうも馴染めない。
 今の自分の感情がどうとかいうことじゃなくて、元々。

 好きな人がいなかったわけじゃない。付き合ったりとかは、経験がないけど。
 佐藤にはそういうの、いっぱいあったんじゃないかと思う。
 正確には、側にいたのは学校にいる間だけのことで、朝から晩まで一日中ずーっと側にいたわけじゃないんだから、知りようがなかった。
 休みの日に何をしているとか、どういうものが好みだとか、会話に上る範囲で多少聞いてただけで、本当に知ってたわけじゃない。
 今まではそんなこと気にしたこともなかったのに。
 夏は終わったのに、私はまだ佐藤のことを気にしている。

「佐保ちゃん、来週の金曜か土曜、夜空いてる?」
「何で?」
「その辺で合コンしようかと」
「……空いてない」
「今の間から考えて、空いてるって判断で合ってるよね?」
「その日は風邪引く予定やねん」
「それ、面白くないから」
 どうも強引にでも合コンに私を連れ出したいらしく、しっかり念を押されて、出席を言い渡された。
「佐藤とまではいかないけど、そこそこカッコイイ子呼んだから。期待しててね」
 何をどう期待すればいいのかさえ想像がつかない私には、合コンなんか無駄だと思う。
 大体、向こうにだって選ぶ権利はある。ものすごく美人だとか可愛いだとか、お世辞にも言えない外見の私を、拒否する権利。
 本当に風邪を引いてしまいたい。
 別に、彼氏なんか要らない。
 こんなにいろんなことがぐるぐる頭を巡って、いろんなことが手につかないような状態なんか、もう要らないのに。

 それから1週間。本当に風邪を引いてしまったかもしれない。
 滅多に引かないから、引きかけの軽い風邪のはずなのにとても重い感じがする。
 最近ガタ落ちの集中力は余計に落ちて、ろくに講義も聞いていられない。頭はいつもぼやけていて、喉が少し痛む。それから、だるい。
 合コンの幹事にそのことを話しても、合コンは決行で私は出席、と言い切られてしまった。
「いくら気が進まないからって、風邪とかって嘘ついても駄目だからねー」
 嘘じゃないんだけどなあ。ホントに、やばいくらいにボケボケなんだけどな。端から見てるといつもと変わらないのかな。
 講義のノートを間違えて持って来たり、提出するプリントを忘れて来たり。普段ならやらない失敗を、どんどんやってしまってるのに。
 今日中なら良しとしましょう、と猶予をくれた教授に提出する為に、これから部屋に帰ってプリントを持ってくるしかない。
 電車で15分、徒歩10分。プリントを持ってまた大学に引き返して提出して、家に帰ってゆっくり寝れるまで、あと1時間半弱。
 余計なことを考える余裕がない。
 ぐるぐると頭を巡るのは、あと何分で寝れるか。そのことだけになってる。
 それぐらい体調が良くないってことなんだろう。
 いいかもしれない。
 佐藤のこと、考えないで済む。
 これならずっと風邪でもいいかもしれない。
 そんなことを本気で考え始めてる辺りが、明らかに風邪だろう。
 ふらつく体を何とか動かして、プリントの提出を何とか済ませたところで、少し気が抜けてしまった。
 大きな木の陰で少しだけ休んでいこう、そう思って自販機で買ったのは、最近販売され始めたホットコーヒー。
 ちょっとだけ自覚のある寒気は、気候のせいでもあるはずだ。風はもうすっかり涼しくて、木陰は寒いといってもいいくらいで、いよいよ秋なんだ、とぼんやり考える。
 この場所は、暑さを避けるための場所だったのに。
 あの日はむちゃくちゃ暑かった。夏真っ盛りって感じの、いい天気だった。
 佐藤は私の隣りで笑ってた。
 3ヶ月も経ってないのに、随分昔のことのような気がしてきた。
 コーヒーを飲み干して立ち上がろうとする。寒さが増してきたから、早く帰らないと。そう思うのに、力が入らない。
 もう急ぎの用があるってわけじゃないから、まあいいか、という気持ちにもなってくる。
 ここで本格的に風邪を引けば、見た目にも明らかにひどい風邪だったら、合コンには出なくていいかもしれない。
 その為にひどい風邪を引いたって構わない、という気持ちになること自体、既にひどい風邪を引いているせいなのかもしれない。

「何してんの」
 ぼんやりしていて、最初、その声には気づけなかった。
「佐保」
 名前を呼ばれて初めて、自分に話しかけられているんだと気がつく。
 何の準備もなく、呼ばれて振り返った。顔を見るまで誰だか、本当にわかってなかった。
 ぼんやりしてなかったら、風邪気味じゃなかったら、すぐに気づいて、ちゃんと返事もできたはずなのに。
 聞き慣れた、優しい声だったのに。
 喉が痛くて、上手く声が出せなくて、結局は返事もできないまま、その顔をまっすぐに見ることしかできない。
 知らない表情の、笑ってなんかいない、佐藤の顔を。
「ぼんやり、してんの」
 やっと言えた言葉は、声がかすれて、とても小さな声で、佐藤が無反応だったから、届かなかったのかもしれない。笑顔を作ったつもりだったけど、ぎこちない笑顔を浮かべることにさえ失敗したと思う。
「佐藤は、待ち合わせ?」
 佐藤は今は一人。でも、ここの所いつも佐藤の隣りに一人の女の子がぴったりくっついてることは、噂も知ってるし、見て知ってる。だからそう言ってみた。
 でも、佐藤は返事をしない。私の前に立って私を見下ろしたまま、動かない。
 私の知ってる佐藤とは、違う。
 こんな佐藤を友達だとは思えない。
「風邪なんやったら、早よ帰りいや」
 それでも、声は優しい。
「何でこんなとこでへたりこんでんねんな、悪化するやろ」
「うん、もうすぐ帰るから」
「……早よ、帰りや」
 歩き出す佐藤の後ろから射す光が、夕日の色に変わり始めてる。
 背が高くて、広い背中。前はもっと華奢な印象だったのに。金色の髪が、ほんのりオレンジに染まって綺麗。
 遠ざかる佐藤の後ろ姿から目が離せない。
 随分と小さくなったところで、佐藤に駆け寄る細い人影が見える。揺れる長い髪。自然と二人の距離が狭まって隙間がなくなるのを、ただ見ていた。
 直接的な感情は、何にも湧いてこない。悔しいとか悲しいとか、そういうのは、全然。
 ただ、目が離せない。
 それでも、すぐに二人も見えなくなって、視界は赤く染まる。鮮やかな、秋の夕日。
 日が沈み始めて、高い空はもう赤くはない。風は冷たさを増していく。
 それでも動けないまま、木陰に座りこんだまま、空を眺めてた。濃い青から薄い赤に移る色を、綺麗だなと思って見ていた。
 指の先が冷たいことには気づいていたけど、私は動けないままだった。

「帰りて、言うたやろ」
 もう声も優しくはなかった。
 腕を掴まれで強引に引き上げられて、よろけた。それを、強い力が危なげなく支える。
 顔を見るのが怖い、と思った。けど、顔を背ける動作も億劫な程体が重い。佐藤の顔は自然と目に入った。
 やっぱり見たことのない表情だった。怒っているわけでも、無愛想に見えるわけでもないけど。
 胸を締めつける、眼差し。
 どきどきさせられるとか、そんな生やさしいもんじゃなかった。
 心臓を素手で鷲掴みにされて、握り潰されてしまったんじゃないかって位に、胸の辺りが苦しく痛む。
 息ができない。
 呼吸を奪うほどのきつい抱擁に、佐藤の目を見ることもできなくなった。
 振り解こうとか、逃れようとか、そういう考えも、全部綺麗に奪い去られてしまった。
 声も、意識も。
 でも、そのことに、私は違和感を覚えてはいなかった。


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