□ 過ぎる夏 15
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15.変わらないまま

 自分で作った大福を頬張る。いちごだけで試食した時は結構甘かったけど、今は餡の甘味でいちごは酸っぱく感じる。
 佐藤の淹れてくれた緑茶をすすり、また大福にかぶりつく。
 無言だ。
 まだ頬が熱い気がする。
 佐藤も黙って大福を食べているから、室内は妙に静かだ。
 突然、佐藤がくすくす笑い始めた。
 佐藤の方を見ると、面白いものを見ているという顔つきで、目を細めている。
「……なに?」
 頬が赤いのがばれてるんじゃないかと思うと、余計に頬が熱くなってくる気がする。悪循環だ。
「佐保、粉ついてる」
 佐藤の大福に触れていないほうの手がのびてきて、口元じゃなく、頬に触れたので、ぎくっとしてしまう。
「普通に食べてんのに、何でほっぺたに粉つくんや?」
 佐藤がまた笑う。頬を拭って、手が離れていく。その手が湯呑を持って、お茶を少し飲んで。でも、湯呑を置いた後もまだ笑ってる。
「子供みたいやなあ」
「……その、子供の作ってきた大福、十個全部一人で食べるとか言うたん、誰?」
 頬が赤いのを誤魔化したくて言ったのに、何だかホントに拗ねてる子供みたいになってしまった。
「俺です」
 佐藤はまた目を細めて笑うと、大福を口元に運んだ。
 美味しそうに食べている。その様子のほうがよっぽど子供っぽい気がするけど、今何か言って頬のことを指摘されても困るし。黙っとこう。
 だから、まだ無言。室内はやっぱり妙に静かだ。
 一旦笑うのを止めたはずの佐藤が、またくすくすと笑い出す。
「今度は何?」
 箱の中の大福に手をのばし、三個目の大福を食べ始める佐藤は、今度は食べながらも笑うのを止めない。
「佐保、写真、見たい?」
「見たい」
 気が変わらないうちに見せてもらおうと、私は即答する。そしたら佐藤はまた笑う。
「あんなに渋っとったくせに何で急に?それに、何でそない笑うんよ?」
「いや、佐保、変わらんなあて」
 そう言って一人で笑ってる佐藤は、とても珍しい。爆笑じゃないにしても、笑い続けてる佐藤なんか、きっと外じゃまずお目にかかれない。
「そない思たら、まあ見してもええか、て」
 テーブルの上の布巾で手を拭いて、佐藤はまたお茶を飲んだ。
 珍しい、という気持ちの方が強くなっている。写真のことは確かに気になるはずなのに。珍しい佐藤の様子は、いつもより更に強烈に私を落ち着かなくさせる効力を発揮した。
「はい」
 佐藤が目の前に写真を差し出さなかったら、あまりの頬の熱さに、俯いてしまっていたと思う。
 写真は、古いもののようだった。カラーだけど、時間が経っていることがわかる色合い。写っている室内の様子も、古いという印象を与える。
 それらのことに気づけたのは、もっと後のことだ。
 まず、写真の中央に写る二人の子供に視線は完全に固定されてしまった。
 金色のさらさらの髪がとても綺麗な男の子が、布団に屈み込んでいる。
 そのすぐ側に、肩まで伸ばした黒髪がくるくるとカールしている女の子が、横になって眠っている。
 男の子は、女の子の頬に手を触れて、反対側の頬にキスしていた。
 キスは多分一瞬のことだったんだろうけど、この写真はそれを的確に捕らえたもののようだ。
「佐保?」
 写真に見入っていると、佐藤に呼ばれた。顔を上げると、佐藤はもう真顔に戻っていた。
 金色の、さらさらの髪。写真の中のものと同じ。
「これ、佐藤なんやね」
 写真の二人の子供は、幼稚園児くらいに見える。幼い頃の写真を見られるのが、佐藤はそんなに嫌だったんだろうか。
 多分違う。この写真が、キスしてる写真だからだ。相手の子は誰だとか何だとか、追及されるのが嫌だったんだろう。
 長い髪に、ブラウスの襟や袖口、スカートの裾にあしらわれたレースがよく似合う女の子。幼い佐藤も可愛らしいけれど、この女の子と並んでいるところは、絵になる。
 写真を見たまま、また黙り込んでしまう。これは誰?と訊くと、佐藤は嫌がるだろうか。
「佐藤、そのまんま大きくなったって感じやね」
 髪型にあまり変化がないせいもあるけど、写真をよく見ると、面影があるのがわかる。小さい頃から整った外見をしていたんだなあ、としみじみ思ってしまっても仕方がない。
「佐保は結構変わってしもたなあ」
 何気ない佐藤の言葉。最初、意味がわからなかった。佐藤と初めて会った中学の入学式の三日前。その時はもう今と同じ髪型だったし、劇的に身長が伸びたとかいうこともないし。
「ほっぺたは相変わらずふにふにやけど」
「……相変わらず?」
 佐藤の言葉と、手に持った写真の中の佐藤の手が触れているもの。
「もう髪の毛伸ばさへんの?」
 しつこいくらいに写真を見る。何度も目を凝らす。
「佐保、さっきからどないしたん?」
 佐藤にはこれが誰だかちゃんとわかっているらしいのに、私には覚えがない。
「……これ、あたしなん?」
 混乱する。それがモロに声に出てる。
「……他に誰がおるねんな?」
 不思議そうに訊き返される。もうちょっとで「えーっ?!」と絶叫してしまうところだった。

 五歳の頃の佐藤と私の写真にめいっぱい驚かされた心を落ち着けるため、お茶を飲む。
 今は、佐藤が懐かしそうに写真を眺めている。
「なんや恥かしいやろ、ガキの頃やいうても、ませたことしとるし。親父の前で見したら、絶対からかいよるから」
 今はもう、取り乱してはいない。
「佐保が忘れてるとはなあ……」
 忘れてるも何も、写真の中の五歳の私はぐっすり眠ってるんだから、後で写真を見なきゃ知りようがないし、この写真を見るのは初めてだし。
「俺、ずっと覚えとってんけどなあ。せやのに佐保は、あの時も忘れとったし」
「あの時?」
 これは、中学の入学式の三日前、私が初めて佐藤に会ったと思ってた時のことを指してるんだろう。
「せやからちょっと、ひどいこと言うてしもたけどな」
 ひどいこと。早口の英語で言われた、あれのことだろうか。
「あれ、何て言うてたん?」
「え」
「佐藤、覚えてるんやろ?あたしずっと気になっとってん。教えてや」
 違うんだろうか。あの英語の後の言葉のことなら、確かにひどいことだと納得するし、今でもはっきり覚えてるけど。
「あの、英語で言うたやつのことか?」
「そう」
「あんまし言いたないなあ……」
 ということは、佐藤は覚えてるんだ、英語で何て言ったのか。
「……この写真、ずっと持っとったんは俺なんやけど」
 話し始めた佐藤の言葉を聞いていても、最初は何の話なのかわからない。
「この写真に写ってるそのまんま大きくなってるんを想像してて、会いたいなあて思てたんやけど」
「……変わってしもてて、ガッカリした、と」
「ガッカリとは言うてへんやん」
 まあ、あまりいい意味のことを言われていたとは思ってなかったけど、やっぱりか。
「けどまあ、大体そういう意味のことを言うてしもた、と」
「……こんなん別人やないか、て言うたんや。佐保はガキみたいにごねとったし、ちょっとむかついたんやろな」
「せやかてあれは、結構ひどいで。代表代理で挨拶なんか、したなかったのに押しつけられて」
「あれ、言い出したん親父なんや。最初は俺のことカナディアンスクールとかに行かすて言うとったんやけど……俺の外見、悪目立ちするやん、色々言われんのを俺が嫌がってんの知っとったし、その辺気にしとったんやろな」
「せやからて、あたしに押し付けたん?」
「目立つんも嫌やろけど、何より、佐保に頼んだら、入学式より前に会えるて」
「……もしかして」
 私がいるから、あの学校に入ったってことだったんだろうか。
「よう考えたら、俺かて嫌なんやし、佐保かて代理で挨拶なんか、嫌やったよなあ」
 ものすごく嫌だった。その後しばらく佐藤とは一切口をきかなかったくらいだ。
「そういうの、あの頃はよう考えんかったけど、今はようわかる」
 今の佐藤なら絶対あんなことは言わない。そう思う。それは、大人になったってことなのかどうかは、よくわからないけど。
「結構変わったていうても、俺、あの写真の日のこと、ほとんど覚えてへんねん。ちょっとは一緒に遊んだけど、佐保はほとんど寝とったってことぐらいしかわからんし」
 そこで佐藤が苦笑する。
「写真のイメージとあんまり変わってもうて、確かに、勝手にガッカリしとったんやけど、ホンマは別に何も変わってへんねんなて、気いついた」
 どういうことなのかよくわからないから、佐藤の言葉の続きを待つ。
「見た目の雰囲気は変わってもうたけど、中身は変わらんねんなて。笑うとことか、な」
 ずっと好きやったって、以前佐藤は言った。
 写真をずっと持っていた、とさっき言っていた。
「結構一途やろ?かれこれ十四年やもんなあ」
 佐藤が目を細めて笑う。写真の中の五歳の子供は、今目の前で、子供っぽさのまるでない笑顔を浮かべている。
 今までずっと、ひたすら私を好きだった、とまでは思わないけど、佐藤は私をずっと覚えてて、日本に戻る機会に同じ学校を選ぶ程度には気にしていたんだろう。
「もう長いことこのままできててんから、別に急いで言う必要なんかなかったんやろうけどな、何か、言わんでおられへんかって」
 写真の中の佐藤と、今目の前にいる佐藤。
「この話、親父には内緒な。あの人そういうネタで俺からかうん好きやからなあ」
 佐藤は、変わらないままで、今日まできたんだ。
「おじさん、佐藤のことしょっちゅうからかうん?」
「……中学も高校も大学も、一緒のとこ選んどったら、さすがにばれるわなあ。あの人結構しつこいねんで」
 私は全く気づきもしなかったけど、私の知らない間もずっと、佐藤は変わらないままだったんだ。
「困ってへんて言うたよな。多分、今困るからやめろて言われても、もう無理なんやと思う。こうやって改めて思い出してみたら、俺、ずーっと追っかけとったんやし、最初っから無理なんかもしらん」
 そういうことを、佐藤は照れもしないでまっすぐに言った。
「そういうことやから、佐保、諦めて」
 いつもなら、ここで「何を?」と、何にも考えずに私は訊いてしまう。
 でも、もう訊かない。
 佐藤にはもう、私が改めて訊かなきゃわからないことは、ない。
「まあ、極力おおっぴらにはせんように、努力するから。引かなあかん時は、ちゃんと引き下がるつもりやし」
 佐藤はそこでお茶を一口飲んで、「冷めてしもたな、淹れなおすわ」と台所へ向かった。
 何で佐藤は私が好きなんだろう、という疑問は、これで解消した。
 けど、私は佐藤をどう思っているんだろう。
 佐藤にまっすぐに気持ちを向けられていることを、嫌だとか困るとか思っていないことに、とにかく戸惑う。焦る必要なんかないはずなのに。
 またわからなくなってきた。
 どうにも落ち着かなくて大福に手をのばす。お昼前なのに、と思いながらも、落ち着かなくて食べ始める。いちごはやっぱり酸っぱく感じる。
「佐保、また粉ついてる」
 お茶を淹れて戻ってきた佐藤に、また笑われた。


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